2010年05月号・社説 →e-mail

耕作放棄地という希望
明峯哲夫(農業生物学研究室/庭協会準備室)

 

(1)遷移

 火山の大爆発。大量の溶岩が流れ出し、森林を覆い尽くす。荒涼とした溶岩台地の誕生。ここには生けるものの姿はない。しかし何年、何十年か経つと、この不毛の大地のあちらこちらに小さな植物が姿を現わす。そしてさらに何十年、何百年の歳月が過ぎると、そこには樹々が生い茂るかつての懐かしい森が復活してくる。このようにいったん破壊し尽くされた植生が、長い年月の果てに元の姿へと回復していく過程を遷移と呼ぶ。
 遷移は岩石の風化から始まる。岩石の割れ目に、僅かな土ができる。たまたまそこにどこからか風に乗ってやってきたコケの胞子が、落下し芽生える。こうして無機的空間を舞台に、生のドラマが密やかに開演する。コケは根(仮根)から酸を分泌する。酸は岩石から栄養分を溶かし出しコケの成育を促す。その個体の寿命が尽きると、遺体は腐植となり自らを育ててくれた土を少しばかり肥沃にする。そこに新しい個体が芽生える。こうして少しずつ土が増え、肥えていく。 
 やがて草本類が侵入してくる。種子は風に乗ったり、上空を飛ぶ鳥の糞に紛れ込んだり、動物の体にくっつきヒッチハイクしたりして、たどりつく。最初は体の小さな一年草、次に二年草が繁殖し始める。やがてそこはススキのような多年草の群落が拡がる。多年草は根や地下茎に栄養を貯える。発達した根茎を支えるためには、土は相当量増えていなければならない。毎年植物の地上部は枯れ、それは土に腐植を与え続ける。こうして土はより多く、より肥沃になっていく。
 さらに時が経つと、草原に樹木が登場する。遷移が始まってもう何十年も経った頃だ。最初は潅木、次にマツ、コナラ、カシワなど背の高い樹々が姿を現す。彼らは日当たりの良い場所を好む陽樹。やがてそこは陽樹の林となり、樹々の足元には枯れた葉や枝が落ち蓄積していく。こうして土はますます増え、ますます肥沃になっていく。
 陽樹たちはたくさんの種子を落とす。しかし日当たりを好む陽樹の子どもたちは、親の足元は暗く充分に成育できない。親の影が災いして子どもが育たない。何という悲劇か。ところがシイやカシ、ブナなど弱い光でも育つ陰樹の子どもたちは、薄暗い陽樹の足元でも旺盛に育つ。こうしていつしか陽樹の林は陰樹の林へと移り変わっていく。
 陰樹の森の中も暗い。しかし子どもたちはそこで成長し、世代交代が繰り返される。こうして陰樹の森は安定し、遷移は終わる。この状態を極相(クライマックス)と呼ぶ。大きな環境変化がない限り、極相の森は半永久的に存続していく。その間にも土壌の表層には落葉・落枝の蓄積が続く。こうして森林の土壌はいよいよ分厚く、いよいよ肥沃になっていく。
 遷移の終点極相林は地域によって異なる。日本列島で言えば、沖縄では亜熱帯多雨林、南西日本から関東平野部にかけてはシイ、カシなどの照葉樹林、東北から北海道南部にかけてはブナなどの夏緑樹林、北海道中央部はミズナラやエゾマツなどの針広混交林、北部から東部ではエゾマツ、トドマツなどの針葉樹林となる。
 地球は広い。雨量が少なく乾燥した地域では森林が発達しない。そこでは遷移の終点は草原だ。温帯に拡がる草原。ユーラシアではステップ、北米ではプレーリー、南米ではパンパスなどと呼ばれる。熱帯に拡がる草原はサバンナだ。これらはいずれも安定した極相の草原である。
 遷移の過程で、コケ植物→一年草→二年草→多年草→潅木→陽樹→陰樹と、植物は次第に大型化していく。そしてそれに伴い、植物に由来する腐植量も次第に増大していく。遷移は拡大再生産の過程である。小さな植物が土を肥やし、より大きな植物を育てる。その植物がさらに土を肥やし、さらに大きな植物を育てる・・・。土が植物を育み、その植物が土を育てる。遷移は植生が変化する過程だが、同時に土壌が形成されそれが肥沃化していく過程でもある。

(2)腐植

 植物は太陽の光のエネルギーを利用して、有機物を合成する。合成された有機物は葉、茎(幹)、根など体の各部分に分配され、植物は生育していく。植物の体の一部、あるいは全体が死ねば、それらは土の中(根などの場合)や表層(茎葉などの場合)に蓄積していく。これらの有機物は土に生きる小動物(ミミズなど)や微生物(カビや細菌など)の格好のえさとなる。有機物は盛んに摂食され、分解されていく。
 植物の体を作る有機物の中で、炭水化物やタンパク質などは分解されやすい。それらは二酸化炭素、水、あるいはアンモニアなどの無機物へと速やかに変化する。アンモニアは植物の主要な栄養素で、早速根から取り込まれ植物に再利用される。
 一方植物の細胞の最外層、細胞壁の成分リグニンは極めて分解されにくい。それでもこの難物は微生物のはたらきで、ゆっくりと分解し始める。リグニンの分解の途中で生ずる中間分解産物と、タンパク質の中間分解産物(ペブチドやアミノ酸)との間に反応が起こる。その結果“腐植酸”という物質ができる。腐植酸はさらに炭水化物の中間分解産物(ポリフェノールやキノン)などと反応してある物質を作る。この物質が縮重合(たくさん繋がること)すると非常に複雑な物質が合成される。この物質が“腐植”と呼ばれる。腐植同士はさらに縮重合を繰り返す。その結果腐植は、分解されにくく極めて安定した状態へと変化していく。腐植は重合の度合により、分子量が5000から数十万に至る。このように腐植とは、植物の体に直接由来する物質ではなく、植物を作る物質を素材にして土の中で新しく合成された物質である。
 重合度が低い腐植は“栄養腐植”と呼ばれる。この腐植は微生物によりゆっくりと分解される。その結果放出された無機物は植物や微生物の栄養となり、彼らの成育を促進する。微生物も死ねば、その遺体(?)は土へ有機物を供給する。腐植による微生物の生育促進は、土壌有機物の増量につながる。微生物は細胞の外に粘性の高い物質を分泌している。その物質は土の粒子(単粒)同士を結合させ、大きな粒(団粒)をつくる。団粒と団粒の間の隙間には、空気や水分が溜まる。土の団粒化は植物の根の生育にとり好ましい。土の中の微生物が多様になれば、植物を冒す特定の病原菌だけが増殖するという事態は起こらない。
 一方重合度の高い腐植は“耐久腐植”と呼ばれる。この腐植は極めて安定した物質で、何千年もの間土の中に存続し続ける。分解されにくいので、無機物を放出する効果は期待できない。しかし耐久腐植は負の電気を帯び、カルシウムやマグネシウムなど正の電気を持つイオンを土の表層に保持する能力が高い。その結果土はアルカリ性に傾き、酸性になる傾向が弱められる。多くの植物は酸性ではうまく育たない。
 腐植は植物の栄養剤だ。そしてそれはまた植物の成育安定剤でもある。肥沃で地力のある土とは、この腐植を豊かに含む土をいう。

(3)開墾

 森林や草原の土壌は長大な時間、樹木や草のくらしを支えてきた。一方土壌は植物たちから膨大な量の有機物を提供され、それを腐植としてストックしてきた。このストックが、植物たちの持続的な成育を支えている。
 一般に森林土壌より草原土壌の方が腐植のストックは大きい。一見常識とは異なるように思えるこの事実は、どう理解したらよいのだろう。
 森林、草原全体にストックされる有機物の総量は、森林の方が大きい。しかし森林の場合有機物の多くは地上部、つまり樹木の本体、幹に貯えられる(後述するようにこの幹に貯えられた有機物に依拠する農業が焼畑農業である)。一方草は樹木に比べ体がはるかに小さく、そこに貯えられる有機物の量は些少である。しかしこれらの草は毎年枯れ、その遺体は全量土に戻る。その量はわずかでも、それが何千年、何万年分集まれば、土にストックされる有機物の量は膨大になる。草原における有機物はほぼ全量地下に分布する。その量は、森林が土に貯える量を凌駕しているのである。“世界の穀倉地帯”ウクライナやアメリカ中西部は、もともと草原だった。草原の土は肥え、地力があることの一つの証拠だ。
 この地球上で人間が利用する農用地の面積は、現在全陸地面積のほぼ3分の1である。しかしそれらの農用地ももともとは森林や草原だった。ある時人間がそこを開墾し、農地にした。こうして農業は、自然の植生が土の中に貯えた有機物のストックに依存してスタートする。しかし耕地化すると、土の中の有機物は急速に減少していく。農地の表層はたえず耕される。耕されると土に空気が入り込み、有機物は一気に分解され始める。森林土壌の場合、表層は樹々の陰になるため水分過剰で、有機物の分解は抑制されている。しかし開墾すると、表層が乾き有機物の急激な分解が始まる。開墾とそれに続く耕作活動は自然の植生によって集積された土壌有機物、つまり地力を分解・消耗させる営みなのだ。

(4)熟畑

 農地化に伴う土壌有機物の損失は10年、15年と続く。しかし有機物が減少すると土壌中の微生物の活性も低下し、分解が抑制される。その結果20〜30年後には、土壌有機物の低下は止りほぼ一定の値で安定する。この段階の農地を熟畑という。
 熟畑化した段階で土壌有機物がどのレベルで安定するかは、栽培法によって大きく変化する。例えば化学肥料だけに依存した栽培では、有機物の還元がほとんどなくなり、土壌中の有機物量はギリギリまで落ち込む。その結果微生物の活性も低下し、団粒構造も崩れる。腐植が減少すれば、作物の健全な生育は狂う。作物栽培を持続させるには、土壌有機物の量を相応のレベルに保ち地力を維持することが欠かせない。そのための基本は以下のようなものだ。

①持ち出さない
 イネやムギなどの穀物を栽培する場合、人間が食べるために農地から持ち出すのは種実である。植物体のその他の部分、つまり根、茎葉(わら)、籾殻などは農地に残される。これらの部分を作物残渣という。マメ類の場合も同様、種実以外の根、茎葉、莢(さや)が残渣となる。全植物体の重さに対する残渣の重さ(いずれも水分を除いた乾重)の割合は、穀物で50〜70%、マメ類で70〜80%と極めて高い。しかしこの作物残渣をそのまま畑に放置するか、堆肥化、あるいは家畜の餌として利用し厩肥として畑に戻せば、それらは土壌有機物として腐植形成に一役買う。
 雑草はむやみに取り除かない。雑草も有機物を合成し、その遺体は土に戻る。取り除いた雑草は持ち出さない。畑に放置しておくか、堆肥化、あるいは家畜の餌にして堆厩肥として戻す。

②運び入れる
  良質な堆肥を作り、適正量を農地に導入する。土壌有機物のレベルを保つ最も基本的な方法である。刈り取った草を畑に運び込み、作物の根元などに敷く方法も有効だ。畦は採草地と考える。

③耕さない
 耕せば耕す程、土壌中の有機物の分解は早まる。なるべく耕さないですむ工夫を心がける。腐植に富んだ土ならば、作物の根やミミズが耕してくれる。微生物の力で団粒化も促進される。

④穀物やマメ類を取り入れる
 野菜の連作は避ける。ホウレンソウやコマツナなどの葉菜類は、植物体全体が抜き去られる。キャベツやレタスなどは外葉や根、ダイコンやニンジンなどの根菜類では葉、トマトやナスなどの果菜類では根、茎葉が残渣となる。しかし植物体全体に占めるこれらの残渣の割合は小さい。そもそも野菜類の体はその多くが水分であり、彼らが有機物を合成・蓄積する力は穀物やマメ類に比べ極端に低い。このため野菜類を栽培した跡に残される有機物量は少ない。そんな野菜類を連作すると、土壌中の有機物は減少一方になる。野菜類は、残渣が多く地力低下を抑制する穀物やマメ類と組み合わせて作付けるのが原則だ。

(5)放棄

 耕作を放棄すると農地はどうなるか。そこはやがて草藪となり、さらに時が経つと林地に戻っていく。この現象も遷移である。溶岩台地など土のないところから出発する一次遷移に対し、既に土が形成されている耕作放棄地などから出発する遷移は二次遷移と呼ばれる。人間の耕作活動は二次遷移の進行を抑制する働きをしている。
 森林や草原など自然植生地の農地化は、地力の消耗過程であった。耕作放棄地の自然植生への回帰は、その逆のプロセスだ。自然植生に戻るに従い腐植が増え、地力は回復していく。耕作放棄は農地としては“荒れて”いくとしても、土は確実に豊かになっていく。“耕作放棄”とは“究極の地力蘇生法”である。
 二次遷移による地力回復を巧みに利用したのが、伝統的な焼畑農業だ。一拡がりの森林を伐採し、火を入れる。その跡地に作物の種子を播く。樹体が燃えた灰の中には、カリウムやリンなど作物の栄養素が多く含まれている。こうして作物は、土壌に蓄積する腐植と木灰の力を利用して育っていく。樹体を活用する農業は、古今東西この焼畑農業だけである。これまで自然植生地だったため耕作開始当初は、作物の病虫害はほとんど発生しない。雑草もさほど繁殖しない。2、3年後、周囲から侵入してくる雑草が無視できなくなると、耕作を放棄する。二次遷移が進行し、何十年後そこは再び森林(二次林)に戻る。森林ー伐採・焼却ー耕作(地力の消耗)ー放棄ー二次遷移ー森林(地力の回復)のプロセスを繰り返す焼畑農業は、極めて持続性の高い農業である。
 “耕作放棄”という地力蘇生法は、不十分な栽培管理により地力が疲弊した農地を健全な状態にリセットする場合に応用できる。例えば連作障害により耕作が立ち行かなくなった農地や、長年慣行農法を実施してきた農地を有機農業に転換する場合などである。地力回復を時間的に早め、耕作開始時の復元作業をできるだけ容易にするため、放棄直後、イネ科やマメ科などの永年牧草を播種し、耕作再開時それらを緑肥として鋤き込む。
 長年作物を作付けせず、抑草目的でたえず耕している耕作放棄地がある。このような“保全管理農地”は、物理的にはすぐにも耕作は再開できる。しかし丸裸の農地では土への有機物の補充はなく、絶え間のない耕起は土壌有機物の分解を加速する。そこはほどなく砂漠と化す。

(6)復元

 明治期の北海道。開拓民の入植。彼らは鬱蒼と茂る原生林に果敢に挑んだ。拓かれたばかりの当時の写真を見ると、そこに写る畑の様子は奇妙だ。切り倒された樹の根元が、至るところにそのまま残されている。しかもその高さは人の背をはるかに越えている。それはまるで樹一本一本の墓標のようだ。
 樹木の伐採は積雪期に行われたに違いない。夏の間はササが生い茂り、森の中には入れない。開拓民たちは深い雪の上に立ち、樹を切り倒した。春雪が消え、まだ下草が成長してこない合間に、鍬を入れる。せいぜい馬の力を借りるしかない徒手空拳の人々にとり、大木の根を掘り起こすことはできるはずもなかった。しかし長い年月の後、根は腐る。一本また一本と歯が抜けるように姿を消していく。ボロボロになった根は土になる。こうして根に貯えられていた有機物は腐植となり、作物の生育を助けた。根を残さざるをえなかった当時の開墾は、結果として原生林が育んだストックを有効に活用する優れた開拓法だった。
 耕作放棄地の復元は開拓の再現だ。しかし現代の開拓の主役は、人間でも馬でもない。重機である。
 ユンボがうなりをあげる。草薮や樹々はたちまちのうちに根こそぎむしり取られる。焼畑民やかつての開拓民にとれば農耕の生命線であるこれらの資源は、ダンプカーに積み込まれいずこかに持ち去られる。どこかで燃やされるのであろうか。しかしその灰はこの土地に戻ってはこない。地上植生が取り除かれると、次にユンボは土地を深く天地返しする。土の表層には雑草の種子や根などが大量に紛れ込んでいる。それを深く埋め込み、深い所にあった心土を表に出す。この痩せた心土を舞台に農耕は再スタートする。現代の開拓は、地上にストックされた有機物は運び出し、地中にストックされた有機物は地中深く埋め込む。耕作放棄により回復された地力は、こうして一切無に帰する。
 何年か耕作放棄され草薮になった農地の土の表層には、1年草の種子のほか多年生雑草(ヨモギ、スギナなど)の根茎が大量に張り巡らされている。この根茎すべてを一気に取り除くべく払われる努力は大抵報われない。取り出しても取り出しても、紛れ込んだ根から芽は出てくる。それこそ重機で天地返しでもしなければ完全除去は困難である。根茎は地上植生が固定した貴重な有機物の一部である。地上部に出てきた幼芽をこまめに抜き取ったり、刈り取る。光合成を断たれた根茎はやがて死に、腐植と化す。
 耕作放棄地の再開拓は、二次遷移の進行により新たに蓄積された有機物を活かす手法が工夫されるべきだ。それは急速な農地復元(=有機物除去)ではなく、有機物の緩慢な分解を許す時間をかけたものでなければならない。かつての開拓のように。

(7)希望

 現在、日本列島では耕作放棄地が続出している。その合計は38.6万ヘクタールにも達するという(2005年農林業センサス)。この現実を農業衰退のシンボルと嘆くだけでは問題の解決にならない。大切なことは、“耕作放棄”を“究極の農地蘇生法”と捉える積極的発想が必要ということだ。
 何十万ヘクタールという農地が現在蘇生中で、それは新たな耕作主体を待っている。多くの知恵と労力が必要な農地復元は、市民をも巻き込んだ地域全体の農的力量アップの絶好のチャンスとなる。
 耕作放棄地には希望が満ちている。それは新しい開拓の時代の到来を告げている。