2012年02月号・社説 →e-mail

セシウム物語
明峯哲夫(農業生物学研究室/NPO・有機農業技術会議)

 

 3・11以後東京電力福島第一原子力発電所から広範囲に噴出した主な放射性物質は、ヨウ素131、セシウム134、セシウム137と言われています。このうちヨウ素131とセシウム134の半減期はそれぞれ8日、2年と比較的短い。しかし半減期がおよそ30年のセシウム137は、自然や生命に中長期的に影響を及ぼし続けると強く懸念されています。 私たちはこれからしばらく(多分この何十年かの間)、セシウム137という放射性物質との“共存”を強いられることになりました。このような深刻な事態を招いた東電と政府にあらためて強い怒りを覚えます。私たちは今自らのくらしを守るために、この地上に突然舞い降りてきたセシウムという物質について、最低限のことを学んでおくことが必要だと思うのです。
                  

 物質の根源は元素(原子)です。自然界のすべての物質(分子・化合物)はこの元素が組み合わさってできています。例えば、水は水素原子(H)2つと酸素原子(O)1つ。そこで水の分子式はH2O。また大気中の二酸化炭素は、炭素原子(C)1つと酸素原子2つからなります。CO2です。自然界に比較的安定して存在する元素は全部で92種類。問題のセシウムはその内の一つです。セシウム(cesium)という物質はCsという記号を持つ元素なのです。
 1869年3月、ロシア・サンクトペテルブルグ大学のD.I.メンデレーエフは「元素の性質と原子量の関係」という有名な論文を書き、元素を原子番号順に並べると、性質の良く似た元素がある周期で繰り返し出現することを示しました。周期律です。彼は当時発見されていた60種類程の元素を分類して性質の似た元素が縦に並ぶように配列した表にまとめ、それを周期律表と呼びました。元素は原子量の順番に原子番号が付けられています。原子量とは原子(元素)の重さのことですが、何分元素は極小の存在。例えば最も小さい(軽い)元素である水素原子1個の重さは、わずか1.67×10-24グラム(水素原子が1024個集まると1.67グラムになる)にすぎません。そこで特定の元素の重さを基準にして、各元素の重さを相対的に表わしたものを原子量とすることにしました。基準になったのは炭素原子。その重さは12です。例えばセシウムは原子番号55、原子量133。つまりセシウム原子は92の元素の中で55番目に重く、その重さは炭素原子の133/12倍ということです。
なぜ周期律が成り立つのか、メンデレーエフは説明していません。その理由が分かるのは20世紀に入ってからです。
 元素は原子核と、その周囲を複数の軌道で回転するマイナスの電気を持った多数の電子から成り立つ。元素の周期律はその一番外側を回る電子の数によって決定される、ということが分かりました。さらに原子核は、プラスの電気を持つ陽子と電気的には中性の中性子という重さがほぼ等しい2種類の粒子から成り立つ、電子は極めて軽く原子量は原子核にある2種類の粒子の重さの合計(質量数といいます)にほぼ等しい、また原子番号は原子核中の陽子の数と一致する、ということなども分かりました。つまり原子番号55、原子量133のセシウムの場合、原子核中の陽子の数は55個、中性子の数は78個、そこで原子量は133になるという訳です。
 現在、化学の教科書に引用されている周期律表の多くは、元素を18のグループ(族)に分けています。高校の化学の授業では、元素は原子番号順ではなくそれぞれの族を上から読んで覚えるよう教えられます。そこで周期律表の一番左側に並ぶ第1族(この族は、水素を除きアルカリ金属と名付けられている)を上から読んでみましょう。高校時代覚えた人は今でもこの順番を暗唱できると思います。そう「水素、リチウム、ナトリウム、カリウム、ルビジウム、セシウム、フランシウム」です。ここにセシウムが出てきます。セシウム元素は“アルカリ金属”というグループのメンバーなのでした。
 室温で固体。硬くて光沢があり、熱や電気を良く通す。叩けば薄い箔(展性)、伸ばせば細い線(延性)になる。水に溶ければプラスのイオンになる。このような性質を併せ持つ元素を「金属元素」と呼びます。金属といえば、金、銀、白金、鉄、銅、アルミニウムなどがおなじみです。しかしリチウム、ナトリウム、カリウムなどのアルカリ金属は軽く、水に浮かぶ。また挟みで切れる程柔らかい。それでもこれらの物質は銀白色に輝き、まごうことなく金属であることが分かります。
 アルカリ金属はあらゆる金属の中で最も反応性が高く、例えば水と爆発的に反応し強いアルカリ性の水酸化物を生じます。そこで“アルカリ金属”という名が付けられました。強いアルカリ性の液体として有名な苛性ソーダは水酸化ナトトリウム(NaOH)、つまりナトリウムの水酸化物です。そのためアルカリ金属は扱いが面倒。保存する場合は湿気や空気に触れぬよう灯油などの中に封じ込めておきます。
 「セシウムは金属だが、人間の装身具として利用することはできない。なぜなのかセシウムの性質に照らして説明しなさい」。このような試験問題が出たら高校生はどう答えるでしょうか。高校の化学の教科書では、セシウムはアルカリ金属の一種と記載されていても、その性質についてはナトリウム、カリウム程詳しく説明されていないようです。
 セシウムの特徴は融点が摂氏28度と低いこと。つまり室温が28度以上になると溶けて液体になってしまう。因みに液体の金属といえば水銀が有名です。水銀の融点は零下39度。銀色に輝く液体の水銀は、温度計や体温計などでおなじみです。いずれにせよセシウム製のネックレスなどを身につけたら大変。体温ですぐに溶けてしまうし、汗に触れた瞬間爆発。大やけど必至です。
 セシウムについて化学の教科書はいたって素っ気ないのですが、生物学の教科書ではどうでしょう。高校の生物の教科書では何と一回だけ登場します。遺伝子DNAの複製の仕組みを解明した有名なメセルソンとスタールの実験(1958年)の説明の部分です。
 遺伝子DNAの分子構造が“二重らせん”であることを発見したのは、J.ワトソンとF.クリックの二人でした。1953年のことです。遺伝子は細胞分裂のたびに複製され、二つの細胞に正確に分配されます。ワトソンとクリックはその分子構造から、DNAの複製は“半保存的”に行われると考えました。複製される時二重らせんは一旦ほどけ、それぞれの鎖が新しく合成される鎖とそれぞれ新たな二重らせんを作る。つまり複製されたDNAの二本の鎖は、元々からある鎖と新しく合成された鎖のミックス。つまり半分は保存されると考えたのです。この仮説を実験的に証明したのが、カリフォルニア工科大学のM.メセルソンとF.W.スタールの二人でした。
 生物の先生はこの実験について、概ね以下のように説明します。
 「元々のDNAの2本の鎖に何か印を付けておいて、一回複製されたDNAの2本の鎖のうち1本にその印が付いていることを確かめれば、半保存的複製は証明できるはずです。そこで彼らは2種類の窒素原子を使うことを思いつきました。窒素原子(N)には原子量14のものと、15のもの(重窒素という)があります。まずN15を加えた培養基で大腸菌を培養する。大腸菌は細胞分裂を繰り返す度にDNAを複製しますが、この時複製の材料としてN15が使われるので、大腸菌が持つDNAはN15を含むものとなる(N15-DNA)。次にこの大腸菌をN14を加えた培養基に移し変えます。もしDNAが半保存的に複製されるなら、1回目の分裂で新しく合成されるDNAの鎖はN14を取り込み、複製されたDNAはN15とN14との両方を含むことになります(N15/N14-DNA)。次に彼らが考えたのは、N15-DNAとN15/N14-DNA とを別々に分離する方法でした。この2種類のDNAは重さが微妙に違うので(N15-DNAの方が少し重い)、その重さの違いを利用して分離できるはずです。そこで彼らは新しい分離法を考案します。それが密度勾配遠心法です」。
 先生の熱弁は続きます。
 「大腸菌のDNAの比重は1.6~1.7程。もしこれらのDNAを食塩水(塩化ナトリウム水溶液)中で遠心分離すると、DNAはすべて沈殿してしまう。食塩水の比重は1.0~1.1だからです。そこで彼らは塩化セシウム水溶液を使うことにしました。この溶液の比重は食塩水より重く、大腸菌のDNAの比重にほぼ等しい。アルカリ金属はリチウム、ナトリウム、カリウム・・・と次第に重くなり、セシウムあたりでちょうどDNAの比重に近くなる。 彼らはこのことを周期律表を眺めながら思いついたと言われています。さて塩化セシウム水溶液中にDNAを混ぜ長時間超高速遠心すると、細い遠心管の上面から底にかけて塩化セシウムの濃度、つまり密度(比重)の勾配ができます(底にいくほど密度が高くなる)。溶液中のDNAは自分より密度の低い所では沈み、自分より高いところでは浮かぶので、結局自分の密度と同じ所で静止し層になる。その層は、重いN15-DNAの場合は底に近い方、軽いN15/N14-DNAはそれより上にできるはずです。こうして重さの違う2種類のDNAの分離に成功した彼らは、その結果半保存的複製という仮説が正しいことを見事に証明したのです。この時、メセルソンは大学院生、スタールはポスドク(博士研究員)でした。科学の研究はアイディア勝負。あなたたちも何年か先には、歴史に残るような実験をてがけることになるかもしれませんね」。

 セシウムは一般にはいたってなじみのない元素です。この元素はそもそも自然界にはわずかしか存在しない。地殻中には平均して3ppm(ppmは百万分の一)程度。地殻中に存在する元素を、酸素、ケイ素、アルミニウム・・・と多いものから順番に数えていくと、セシウムは45番目になります。
 金鉱山、銀鉱山があるように、セシウム鉱山というのがある。世界には数か所あり、世界全体で年間5~10トン採掘されている。装身具にはならないこの金属は、一体何に使われているのでしょう。
 “うるう年”は4年に一回やってきます。その年は1年が1日多く366日になる。地球が太陽の周りを回る(公転)周期は正確には365.242199日(365日と6時間弱)。したがって暦の運行と、地球の運行(季節の推移)とがずれないよう調節する必要がある。そこで4年に一回、1日足す。一方“うるう秒”というのがあります。何年かに一回、1秒足す。なぜこのようなことをするのでしょう。
 ある状態の原子に一定の周波数の電磁波を照射すると、それに対応して原子から一定の周波数の電磁波が放出される。その周波数は極めて安定しているので、時計として利用できる。これが「原子時計」です。現在ではこの原子時計により1秒の公式的定義が与えられ、世界の標準時も決められています。その原子時計で最も精度の高いのが何とセシウム時計。7000万年間の誤差が1秒以下と言われています。ところで地球の自転もちょうど24時間ではなく、自転速度は様々な要因により微妙に狂う。現在はやや遅れる傾向にあるという。そこで恐ろしい程正確なセシウム時計と、それ程正確ではない地球の自転時間との誤差を時々、修正する必要がある。それがうるう秒です。うるう秒を入れる度に世界中のコンピュータプログラムは修正される。しかしその作業は煩雑で、修正ミスを生む危険もあるという理由で、うるう秒を廃止しようという提案が各国から出されている。この議論は未だ決着が付かないと、最近の新聞で報道されていました。因みに次回のうるう秒は2012年7月1日午前9時直前(日本時間)の予定だとか。1秒の誤差もおろそかにできない忙しい現代社会のシンボルともいうべきものが、セシウム原子なのですね。
 原子時計のために年間何トンものセシウムが使われるとは考えられません。セシウムの最大の利用先は、と調べてみると、それは何と石油掘削の現場でした。油井を掘り進める時、大量の土砂を地表へ運び出さなくてはならない。その際ドリルの切っ先から液体を噴出させ、土砂を含んだ汚水を地表に循環させる。この液体はドリルの先を冷却する効果も期待されている。そのような要求を最も満足させる液体が、ある種のセシウム化合物(ギ酸セシウム・HCOOCs)なのだというのです。遠心管でDNAを浮かび上がらせた重いセシウム溶液は、採掘抗では土砂を浮遊させるのです。
 意外な所で活躍しているセシウムとその化合物。ところでcesiumとはラテン語で“青“という意味。金属元素をバーナーの炎にかざすとその元素特有の色を発して燃える。炎色反応です。われらがセシウムはこの時美しい青色の炎をあげて燃えるのです。
 

 セシウムの原子量は133ですが、同じセシウム元素でも原子量の異なるものがあります。それが問題のセシウム134や137などです。134、137という数字は原子量を意味します。このように同じ原子番号を持っていても、つまり原子核内の陽子の数が等しくても、中性子の数の違いにより原子量の異なる元素を同位体(アイソトープ)と呼びます。同位体同士の化学的性質は共通で、生物も同じように対応する。メセルソンとスタールが使った重窒素は窒素原子の同位体です。自然界の窒素はほとんどが原子量14。しかし中性子が1個多い原子量15のものもごくわずか混ざっている。ところがセシウムの場合、自然界に存在するのは133だけで、137などの同位体は全く存在しない。これらの同位体は“人工的に”作られたからです。どういうことでしょう。
 原子番号83までの元素の原子核は比較的安定しています。しかし84以上の原子核は不安定。不安定な原子核はより安定した原子核へと変換する傾向があり、この現象を原子核の「崩壊」と呼びます。そしてこの崩壊時にエネルギーの強い放射線が放出される。このように放射線を出しながら崩壊する元素を「放射性元素」と呼びます。セシウム133は安定した元素で、放射性元素ではありません。
 放射性元素が存在することは、原子番号92番のウラン(U238)で最初に明らかにされました。発見したのはフランスのA.H. ベクレル。1896年のことです。次いで90番トリウム(Th232)、84番ポロニウム( Po254)、88番ラジウム(Ra226)なども放射性元素であることが、同じフランスで研究していたピエール及びマリー・キュリーにより発見されます。ベクレルとキュリー夫妻はこの業績により、1903年ノーベル物理学賞を受賞しました。
 マリーはいつもラジウムをポケットに入れ持ち歩いていたと言われています。当時は放射線が人間の健康を著しく損なうことは、分かっていなかった。そのことが原因かどうか、マリーは悪性不良性貧血で亡くなります。1934年、66歳の時でした。
 ウラン278の同位体にウラン235があります。この同位体は自然界にわずかしか存在しませんが、採掘したウラン鉱石(天然ウラン)からウラン235を数%程度にまで濃縮したもの(濃縮ウラン)に中性子を当てると、この同位体は同じ位の大きさの原子核に分裂する。「核分裂」です。このことが実験的に初めて確認されたのは1939年のことでした。さらに1個のウランが核分裂すると2~3個の中性子が放出され、それぞれが別のウランに吸収され核分裂を起こす。この反応が連鎖反応的に起こると、一時に莫大な熱と放射線が発生する。この連鎖反応を利用した大量破壊兵器が原子爆弾です。その開発は第二次世界大戦中アメリカで秘かに行われ、1945年8月6日、ヒロシマで“実用化”されるという悲劇が起こります。一方戦後、連鎖反応の“平和的利用”が目論まれます。連鎖反応をゆっくり起こるよう制御すれば、発生する熱は少量になる。その熱で水を蒸発させ、蒸気の力で発電機を回そうと考えたのです。それが原子力発電でした。原爆と原発は、核開発から生まれた双子の兄弟でした。
 ウランの連鎖反応的な核分裂は極めて複雑な反応で、その結果多種多様な放射性物質が生じます。その中にセシウム137が含まれるのです。セシウム134はウランの核分裂そのものではなく、原子炉内の副次的反応により生じます。これらのセシウム原子核は不安定で、さらに放射線を放出しながら安定したバリウム元素(Ba)へと崩壊します。装身具にならない程“危険な”セシウム133は放射線は出さない。その意味ではいたって“平和的”な物質です。しかし原子炉の中で誕生したセシウム同位体は、放射線により長期間生命体に深刻なダメージを与える。それらは人間の作りだした“鬼子”とも言うべきものではないでしょうか。2011年3月11日を期して、その“鬼子”が福島第一原発の原子炉から大量に放たれたのです。
 同年6月、原子力保安院は事故当初第一原発から放出されたセシウム137は、合計1万5000 テラベクレルであると発表しました。しかしこの数字の真偽は定かではありません。放出量を3万5800 テラベクレルと試算する外国の研究機関もあるからです。いずれにせよ放出量が「何万テラベクレル」と聞かされても、それがどのような意味を持つ数字なのか、私たちには全く想像できません。放射能は人間には見えない、匂いもしない、味もしない。身体に当たっても痛みを感じない。マリー・キュリーがポケットに忍ばせていたラジウムは、彼女の六感には全く触れなかった。さらに何万テラベクレルという途方もなく大きな値(テラは一兆、1012)は、私たちの思考をも停止させます。
 何万テラベクレルという放射能の量は、セシウム137という物質の量としてはどの程度のものなのでしょう。今、セシウム1グラムが持つ放射能強度を計算してみます。
1ベクレルは、1秒間に1個の原子核が崩壊する時の放射能強度(“ベクレル”という単位は、先述したA.Hベクレルの名に因む)。セシウム137を137グラムとると、そこには6.0×1023個(アボガドロ数)の原子(核)が含まれます。したがって1グラムには4.4×1021個の原子(核)が含まれることになる。一方セシウム137の半減期は30年。1グラムのセシウム137は、30年たつと0.5グラムになる。30年は30×365 ×24 ×60×60 ≒9.5×108秒です。これらの数値から1グラムのセシウム137が崩壊する時の放射能強度は、およそ3.2×1012 ベクレルと計算できます。
 今計算しやすいように、福島第一原発から放出されたセシウム137を仮に3万テラベクレルとします。1グラムのセシウム137が3.2×1012ベクレルに相当しますから、3万テラ(3×1016)ベクレルは約104グラム、つまり10キログラムに相当します。
 同年8月、国立環境研究所は放出されたセシウム137の22%が陸地に沈着していると発表しました(残りは海へ)。とすると10キログラムの22%、約2キログラムが地上に舞い降りたことになる。体積にすれば1リットル、牛乳パック1本分です(セシウムの比重は1.98)。この牛乳パック1個分のセシウム137が、東日本の大地に降り注いだのです。3万テラベクレルという巨大な放射能の量が、物質の量としては僅か2キログラム(1リットル)という余りに小さな数値であることに驚愕します。 
 農地に散布される農薬は、その化学的毒性により微生物や昆虫や雑草を殺します。農薬の散布量は、ひと拡がりの農地に何キログラムという量。その何キログラムかの農薬がもし広範囲の大地に均一に散布されれば、濃度はほぼゼロに希釈され毒物としての効果を失います。しかし同じ毒物でも放射性毒物の場合、何キログラムという僅かな量で広大な地域の自然と生命に長期間深刻なダメージを与えるのです。原子炉で生まれた“鬼子”に計り知れない恐怖を感じます。

 事故発生後冷却水を失った福島第一原発の原子炉内の温度が、どの程度上昇したかは不明です。しかしセシウムの沸点(揮発する温度)は671度。原子炉で生まれた放射性セシウムはおそらくたちまち気体となり、ベント(空気抜き)、原子炉損傷、建屋水素爆発などの度に天空高く舞い上がったに違いありません。空中でセシウム原子は互いに凝縮し、チリやホコリなどに付着し、直径何ミクロン(1ミクロンは1ミリメーターの千分の一)かの微粒子となり風で飛ばされていったと考えられています。やがて雨や雪が降り出し、それらは一斉に地上に降下し始める。こうして“鬼子”たちは大地に降り立ったのです。
自然界での放射性セシウムの動向を調べた研究は多くありません。そもそも自然界に存在しない放射性セシウムを研究する動機や必要がない。しかし大変不幸なことにも、放射性セシウムを調査しなければならない事態が戦後相次いで起きました。最初はヒロシマ/ナガサキ、そして50年代から70年代にかけての大気圏核実験、さらに1986年チェルノブイリ原発事故、そして今回の3・11です。
 ヒロシマ/ナガサキの現地データは、調査したアメリカ政府により軍事機密として持ち去られ隠蔽されました。敗戦直後の日本には独自に調査する力はありませんでした。チェルノブイリ事故の影響は、主に当事国(旧)ソヴィエトとヨーロッパ各国が中心となり調べられました。一方核実験の影響については、日本の各研究機関も国内の空中線量、土壌汚染、食品汚染など今となっては大変貴重なデータを蓄積しています。
 当時空中線量を測る目的で全国各地に設置されたモニタリングポストは、3・11 以後も継続して使われています。その中にはビルの屋上に設置されているものもあり、それらのデータは意味がないと批判されました。今回、放射性セシウムの多くは既に地上に降下してしまった。しかも高濃度に。強い放射線は空中からではなく、地表面から放出されている。線量計は地表面をめがけなければなりません。しかし専ら天空から舞い降りてくる“鬼子”を捉える必要があった当時、観測機器は上空めがけて設置されたのです。
 事故直後、福島県や近県の野菜は放射能汚染を理由に出荷停止になりました。事故当時畑で収穫を待っていた冬越しの野菜は、降下してくる放射性物質にまともに晒されました。“外部被曝”です。一方その後に作付けされた作物については、直接的な外部被曝は避けられたとしても“内部被曝”が懸念されました。土壌中に紛れ込んだ放射性物質が根から吸収され植物体内部を汚染する可能性です。
 政府は11年4月、土壌中の放射性セシウムが乾土1キログラムあたり5000ベクレルを超える水田の作付を禁止すると決定しました。政府はコメ(玄米)に残留する放射性セシウムの暫定基準値を500ベクレル、さらに土壌に含まれるセシウムがイネ(玄米)に移行する割合(移行係数)を0.1と想定しました。核実験時の農水省の調査データによると、イネ(玄米)への移行係数は平均0.012。0.1はそのほぼ10倍の値です。その結果5000ベクレル以下の土壌ならこの規制値をクリアできると考えたのです。
 秋、福島県下で収穫されたコメの放射能検査が一斉に行われました。その結果はほとんどの米が「検出せず」で、数値が出た場合も100ベクレルを超すものは僅かでした。セシウムの米への移行は、想定よりはるかに少なかったのです。
 既にこれまでの各国の研究から、地表面に降り注いだ放射性セシウムの大部分は表土の粘土鉱物に強く吸着し、深い所には移行しないということが分かっていました。3・11以後福島県内で行われたいくつかの研究機関の調査でも、セシウムのほとんどは地表5センチ以内に留まっていることが確認されました。
 土壌はさまざまな鉱物質の素材からでき上がっています。その中で最も小さな粒子が粘土鉱物です。その粘土鉱物の結晶にはマイナスに帯電している部分がある。その部分にプラスの電気を帯びたイオンは結合しやすい。例えばカリウムイオン、アンモニウムイオンなどです。これらはいずれも植物の栄養となるイオンです。そんな時、空中からセシウム原子が紛れ込んできたのです。セシウムもカリウムと同じアルカリ金属ですから、土壌中で水に溶ければプラスのイオンとなります。こうしてセシウムも早速粘土鉱物に捕捉される。セシウムの粘土鉱物への結合は、他のイオンに比べ強いことが分かっています。始めのうちは粘土鉱物の表面に結合していたこれらのイオンは、時間と共に粘土鉱物の結晶構造の内側に移動し、その後は半永久的に溶け出せなくなる。福島県内には灰色低地土と呼ばれる粘土質の水田が多く、そのことは幸いなことでした。
 土壌中には有機物が分解した腐植質が含まれます。堆肥を利用する有機農家の農地には、特にこの腐植質が多い。この腐植質もプラスのイオンを捕捉する性質を持っています。セシウムはここにも結合する。ただ腐植質へのイオンの結合は可逆的で、一旦結合したイオンが条件により再び溶け出すこともありうる。一方で充分量の堆肥の投入は土量を増やし、セシウムの濃度を下げることにつながります。
 粘土や腐植質に結合しなかったセシウムイオンは、植物の根から吸収される可能性があります。しかし植物にとってみれば、セシウムはカリウムと同じ性質を持つもの。おそらくカリウムと同様の仕組みで植物の細胞内に取り込まれる。したがって植物の根の近くにカリウムが充分量あれば、カリウムに比べずっと濃度の低いセシウムが根から吸収される確率は極めて低くなるはずです。カリウムイオンの増減に応じて、セシウムイオンの吸収が抑制されたり、促進されたりすることは、実験的にも確かめられています。
 玄米への移行係数とは、土壌(乾土)1キログラムあたりの放射能強度に対するそこで収穫された玄米1キログラムの放射能強度の比率です。“濃度”の比率ですから、移行係数0.1といっても土壌中の放射性物質の10%が玄米に移行するという意味ではありません。そこで実際にはどの程度植物に移行していくのか、5000ベクレルの水田から500ベクレルの玄米が収穫されたとして計算してみましょう。
 水田の面積を10アール(1000m2)とします。この水田の土壌の深さ5センチ以内にすべてのセシウムが閉じ込められているとします。この部分の土の総量は、1000×0.005=50m3。この重さは乾燥重量として50×2000(比重を2とする)=10×104キログラム。この土に含まれる放射能強度は10×104×5000=5×108ベクレルとなります・・・①。一方玄米の収量を10アールあたり500キログラムとすると、玄米に含まれる放射能強度は500×500=2.5×105ベクレルです・・・②。 ②を①で割ると5×10―4。つまり0.05%となります。仮に茎葉(わら)に移行した放射能強度を玄米の5倍(0.25%)と見積もると、残りの99.7%のセシウムは土に留まっています。
 原子炉から飛び出してきた“鬼子”は、土と植物の力によってその自由な行動が封じられていくようです。

 福島県で収穫された米の一部には、暫定基準値を超え出荷停止となったものもありました。砂地で粘土含量が少ない、極端にカリウム不足、汚染された水が絶えず流れ込む、このような条件の水田では、セシウムのイネへの移行は高くなるとも考えられます。地理的条件、土の性質、腐植含量、用水の条件など、農地は一枚一枚条件が異なります。また耕作者により耕起法、施肥法などが違う。
 セシウムの吸収は植物の種類、品種、また成育過程によっても異なります。さらに植物の根圏に生息する土壌微生物も、土中のセシウムのふるまいに影響を与えるでしょう。しかしこれらの詳細は良く分かっていません。現場に即した粘り強い調査・研究が必要です。“平和な”セシウムの“平和的利用”により遺伝子の複製の仕組みを明らかにしたメセルソンとスタールは、秀れたアイディアに恵まれていました。しかし“鬼子”の研究には、秀れたアイディアと共に高い社会的意識、現場への強い関心が欠かせません。
 農地の様々な”除染”も試みられています。しかしどの方法も一長一短がある。例えば、汚染された表土をはぎ取る方法。問題は表土の処分方法です。置き場の確保は難しい。畑に深い溝を掘り埋め込むのは多大な労力と経費がかかる。トラクターなどで表土と深土を反転させる方法も同じです。何よりも表土を失うことは農地の生産性を著しく損なう。表土にはできるだけ手を着けないことが望ましい。水田の場合、水をふんだんに入れ代掻きを繰り返す。セシウムが吸着した粘土は水と共に排出される。この方法も表土を失います。汚染が水系に拡散されることも懸念される。ヒマワリなどを栽培して、セシウムを吸収させようという実験も行われました。しかしセシウムの吸収量は想定よりはるかに少なかった。ヒマワリはむしろセシウムの移行が少ない作物として、汚染農地で積極的に栽培すべきかもしれません。いずれにせよ少なくとも低線量汚染地域では、このような“除染”を考えるよりも、放射能と“共存”しながら農産物への放射能移行をできるだけ抑制する工夫を優先するべきです。それには土と植物の力を最大限活かす農法の実践が必要です。
 放射能との“共存”は、農産物を介した消費者の内部被曝を避けることにつながります。しかし一方で耕作者の被曝という深刻な問題を抱えています。“鬼子”を封じ込んだ表土からはたえず放射線が放出され続けている。土埃を吸い込むなど内部被曝の危険もある。放射能との“共存”は、何よりも耕作者の“決断”と周到な安全管理なしにはありえないことを銘記しなければなりません。

 こうして表土に封じ込められた“鬼子”は、永遠にそこに留まるのでしょうか。
 風は土粒を天に舞い上がらせます。雨は土粒を流し去ります。“鬼子”を抱え込んだ微小な粒は、やがて川に流れ込む。川底の淀みとなった粒は、流れと共に下流へと下っていきます。そして海。沿岸から沖合へ。土粒は“鬼子”と共にゆっくりと沈んでいく。30年、そしてまた30年・・・。光も届かぬ深い水底で、こうして“鬼子”はただの微小粒子へと転生を繰り返していくのでしょうか。それとも・・・。
 海。ここも豊穣な生き物の世界。暗い海底に漂う“鬼子”の行く末については、また別の物語が用意されなければなりません。