2013年03月号・社説 →e-mail

「福島」から有機農業運動論の再構築を 
明峯哲夫(農業生物学研究室/NPO・有機農業技術会議)

 

(1)なぜ「有機農業」、なぜ「福島」なのか

 日本の農業は今限りなく衰退している。1961年の「農業基本法」以来、農業は政策的に一貫して貶められてきた。農業の衰退は食糧生産力の減退だけでなく、同時に農的な文化の衰退をも意味している。今日本列島では、その隅々にまで都市的文化が浸透している。
 中山間地など零細な農業後進地域が農業で食えなくなって既に久しい。しかし産業としての農業が低効率・高コストと言う理由で否定された結果、そこでの農業はその原初的で素朴な姿に立ち返っている。それが自給的農業である。ここでは農業は何よりも地域と人のくらしを支える機能を果たし、今もなお農的文化が息づいている。その農的文化の継承と発展に最も意識的なのが、有機農業を志す農民たちだ。そんな農民たちが勢いづく地域の一つに、福島県阿武隈地方がある。
しかしそこに放射能が舞い降りた。
 「3・11」は福島の農業の息の根を止めようとしている。福島の農業、とりわけ有機農業が停止を強いられれば、そこで継承されてきた農的文化も断たれる。列島における農業再生の可能性がまた一つ消える。ここに福島の農業、とりわけ有機農業を「支援」する普遍的な根拠がある。
 「3・11」以後、我々には脱原発社会への具体的構想が求められている。脱原発社会の構築とは、日本社会の成り立ちのパラダイムシフトを意味するはずだ。それは「大量生産・大量流通・大量消費・大量廃棄」を中核とする都市的社会から、「人と地域の自給」を中核とする農的社会への転換である。「3・11」からの福島の農業の再生はこのパラダイムシフトの先駆となりうるし、またそうしなければならない。全国の農業後進地域には原発を積極的に誘致しそれに依存してきた歴史がある。しかしこれらの地域は本来の農的力量を発揮すれば、その困難な歴史とは逆に「脱原発社会」という新しい社会のモデルを提供する可能性がある。

(2)産消提携運動の「失敗」

 「3・11」を期に、有機農家と提携してきた少なからぬ消費者が関係を解消した。農家にとり最も支えて欲しい時に、消費者は農家を「捨てた」のである。
 1970年代初頭に始まった日本の有機農業は、多くの「たくましい農民」を生むことには成功したかもしれない。しかし「たくましい消費者」を育てることにも成功したのだろうか。この危機の時にあらためて明らかになった提携運動の「失敗」は、なぜ起きたのか。農家の立場、消費者の立場それぞれから、深刻な「総括」が必要になる。

(3)「都市的モデル」と「農的モデル」

 都市の消費者は食べ物を「選択」している。こうして「有機農産物」も「選択」された。この場合「選択」の基準は、多くの場合「安全性」である。消費者の意識のほとんどは「安全な食べ物の選択」が瑕疵なく行われることに傾注される。この消費行動には、ある特定の土地や地域に対する「責任」は二の次になる。消費者がある特定の生産者を支援し、結果として特定の土地や地域に責任を持つことになるのは、あくまでも購入する農産物の「安全性」が担保されている場合だ。したがってその「安全性」に疑いが生じるような事態が発生すれば、その購入は停止され生産者との関係は断たれる。危険ならば「逃げる」しかない。後述するように、危険な事態が生じても農家はすぐには「逃げられない」。可能な限り留まろうと思案する。この「危険かもしれないけれど留まろうとする」農家の行動は、「逃げるしかない」消費者には理解しがたいだろう。以上のような消費者の立場を「都市的モデル」と呼ぶことにする。
 一方農家の場合を考える。農業生産、とりわけそれが耕作する人自身のくらしや地域を支える自給的なものの場合、収穫物への「選択」の余地はない。農業は地域の自然、風土、歴史性に規定されたもので、収穫物はそれらの必然的な結果である。一方自然や風土と共生する農の営みは、それらに対する厳しい「責任」を人間に課する。人は自然から支えられ、その自然は人により支えられる。農家の意識は、この「責任」を果たすべく自然と共生する知恵と技の獲得にすべてが注がれる。このような立場では、農業生産存続に重大な障害となる危険な事態が生じても、営農を停止しそこから「逃げる」ことは簡単にはできない。「逃げる」ことは全生活を否定することになり、結果として自然への「責任」を放棄し、自らのアイデンティティを喪失することにつながる。「危険かもしれないけれど、逃げるわけにはいかない」。このような立場を「農的モデル」と呼ぶことにする。
 「都市的モデル」と「農的モデル」は、このように本来対立するものだ。しかし両者に唯一共通する概念がある。それが「安全性」である。農民は「安全」な食べ物を作ろうとし、消費者は「安全」な食べ物を食べようとする。この唯一の共通項である「安全性」に依拠すれば、かろうじて両モデルは連携しうる。それを果たしてきたのが、この間の日本の有機農業運動だった。しかし「3・11」は大量の放射能を列島中にまき散らした。汚染地で収穫される農産物には大なり小なり放射能物質が混入されることになった。ここに至り、両者の共通概念は喪失した。「リスクゼロ=完全に安全な食べ物」を生産できなくなった有機農業は、消費者にとりもはや頼りにならない。両者の提携が深刻な危機に晒されたのは当然だった。

(4) 「農的モデル」の全面的展開へ

 「農的モデル」の全面的展開には「都市」が桎梏になっている。運動の“主戦場”は「都市的モデル」に席捲されている都市にある。この認識が従来の有機農業運動には充分でなかった。有機農業運動は何よりも農民の自立を求める運動だったからだ。
 “主戦場”が都市ということは、都市住民が「農的モデル」を体得し自給的くらしを実現していくことだ。「買わない消費者」への脱皮である。既に都市内部やその周辺部において、「耕す市民=買わない消費者」は確実に増えている。「市民農園」、それを本格化した「消費者自給農場」などの都市住民の活動は、有機農業運動と同様既に70年代に始まっていた。この都市住民の自立運動をさらに活性化する必要がある。人はアタマと同時にカラダとココロを動かさなくては「農的モデル」を身に付けられない。
 「買わない消費者」の出現は、農家に「売らない農民」への脱皮を促すだろう。自らの農業がまずは自らのくらしのためにあることを再認識し、そのような農業に磨きをかける。農村が都市の動きに呼応するのだ。
 都市に「農的モデル」を展開させるには、都市住民が「農的モデル」を学ぶ「学校」が必要である。既に都市の「市民による農園」は、市民による市民のための「農学校」の役割を果たしている。その「学校」が農村にも多く欲しい。それは都市住民が農民と共に「農的モデル」を学ぶ場であり、より本格的な農学校である。既にいくつかの優れた先駆例もある。ここで学んだ市民たちは、都市に住み続けながらも果敢に「農的くらし」を試みてもよい。また農村に移住しより本格的な農的くらしを実現してもよい。あるいは新規就農を志す者もいるだろう。有機農業運動の新たな展望も、このような「売らない農民」と「買わない消費者」の「学び合う」連携の中に発見されるに違いない。
 今人が「避難」すべきは「福島」からではない。「避難」すべきは巨大都市「東京」からである。