2007年12月号 / Top
脳天気 農文化
発行;庭しんぶん
庭プレス社
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071228 シリーズ農字 12「芝」
 庭なんだから、とあいかわらず草かんむりモノを扱い続けております。

 今回は芝。北国の12月に芝など見当たらないんだけれど。
 辞書によれば、草かんむりは「くさ」、下の之(し)は「めでたいしるし」ということだそうで、合わせて「めでたいしるしとされた草の名」を表すとのこと。特にきのこ?。霊芝(れいし)っていうものね。しかし一方、庭や土手に植わるイネ科の多年草とくれば、ずいぶん意味が違ってしまう。

 述語として関心があるのは、後者の系譜の「芝」居。その昔、庶民は芝生の上で観劇したそうで、それすなわち演劇となったそうな。
 今日の世の中、芝居めいたつくりごと・はかりごとにあふれるが、その多くが私ら自身が芝生の上で弁当広げるメデタイ観客ではなく、役者(ヘボな!)として配置されているように見える。むろん芝居には演じる・観るの組み合わせが普通は必要だから、大きくは劇場の枠の中にいるか否かということでもあるんだが、進化した?社会では切符をもぎられる実感が薄く、ヒトは勝手に小屋に放り込まれてしまうのである。
 加害・被害などというものが境界線をあいまいにしたままたえず先送りあるいは不問にされる。そういったフワフワ感を泳ぐ(がされる)について否定的な自覚を持ちにくい状況はいま更に加速されている。ぼんやりしてると舞台の上で身ぐるみはがれる。

 本屋のレジに、会社帰りのオネエサンだろうか、「モデルになれる本」なんてものを差し出している。背丈は私とおなじくらい。アタマが私の半分かなぁ。...がんばってちょうだい。

 さて、翻弄されるばかりでは高齢って側を向いている我が身が持たない。いっちょう自らの舞台がほしいところである。そこを根城に「こちら側から」シナリオを世にかぶせていく試みがないといかんのだろう。そう、草の上はすなわち芝居小屋。言い換えればそこは「庭」と呼ぶものでもあるノダ。

 オネエサン、いっしょに演らないか?

(ナガタ・ま)

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