2009年03月号
脳天気 農文化
発行;庭しんぶん
庭プレス社
e-mail

090328 シリーズ農字 15「蔵」
 くさかんむりとその下の部分、音を示す「ぞう(人目を避けて囲む)」を合わせて、草でおおって人目から隠す意味をあらわす、のだそうです。

 この字の上に「大」がつけば、そうかクニというものは何か集めてため込むシゴトが大きな柱だ。ひとたびデカイ蔵を建てると、スカスカになってくるのはたまらん、というわけで回収事業が盛んになされる。堂々とというわけにもいかないからか?色や香りで粉飾される。シモジモも「他でもない、クニなら安心度はベターかも」と熱心かどうかは別にしてつきあい続ける。イヤイヤをした場合には、ムカシのように命乞いが生じることはない。手法はかなり洗練されている。

 上棟式のばらまきみたいな金一封、いや、上棟式に失礼だが、労働がないのにオカネがいただけるという。それもクニの蔵から...。
 余所にそんな例があるか? きっと、こりゃもうクニの末期症状なんだろうな。クニが介護の助力をしてくれる、と思ってたら、クニが要介護なのである。たまらん。

(ナガタ・ま)

090328 シリーズ農字 16「薪」
 くさかんむりの上部と、下部の「新」、これは「斧で木を切りそろえる」という意味らしい、これらを合わせ「たきぎ」をあらわす、のだそうです。

 「薪水(しんすい)」といえばもう死語か。直接にはたきぎと水であるけれど生活に最低限必要なもののこと。たきぎをひろい水をくむこと。そういう炊事、そして生活、といえばなかなか惹かれる。ただ「薪水」という言葉の用いられ方には人々の支配・被支配のニュアンスが不幸にも重なる、と思う。

 50年も前、積雪期の1〜2月は山から木を切り出す時期。
 山の斜面、雪の上を祖父が倒した木が滑り落ちる。ふもとでは馬そりが活躍する。家の横の原っぱにこの木が積まれる。雪融けのあと畑の準備が一段落すると、この木を「薪」の寸法に切り・割り、できた山のようなそれらをその場に積む。子どももかり出される。いやいやだが、ちょうど5月のまぶしい光の下、周囲があたらしい木の香でいっぱいになるただ中はステキだった。そして晩秋、それらは薪小屋に格納される。
 冬、よい薪とはその年の物ではなく前年の物と言われた。乾き方(燃え方)に差が歴然とあった。

 かつて、薪作りの成果は食べ物のストック同様生活を見通すための重要な位置を占めたわけだし、そのプロセス、山の管理から木が燃やされるまでの流れというものは、相当な技術の流れでもあった。
 無骨なそれら道具類は、今や博物館の中でスポットライトを当てられ静かに眠っている。時にはそいつらをお天道様の下に再び登場させ、働かせる必要があるのではないか。
 ムカシがなつかしい、のではなく、技術や知というものは絶えず再評価の土俵に載せておく必要がある、と考える。それも私たちの身近な位置に。

 博物館を我らに!

(ナガタ・ま)

庭プレス・トップへ