2009年06月号
脳天気 農文化
発行;庭しんぶん
庭プレス社
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090628 シリーズ農字 18「茂」
 くさかんむりとその下の部分「ほう→も(と呼ぶ・意味は盛ん)」とを合わせて、草木が盛んになる、つまり「しげる」をあらわす。そこから派生し、すぐれている・立派であるなんて意味も持つ。でも今どき「茂才」なんて言わないか...。

 蕪の種を播く。
 ルーペで見るとから揚げみたいだ。一応芽出しをし、土に埋めたのだが晴天続きで土が乾いている。
 カラカラなのに雑草は茂る。まあ砂漠ではないし、生産性が高い証拠だろう。
 私の蕪は育つだろうか。

 かつて宮澤賢治が傍らで同情した、旱(ひでり)の夏におろおろと歩いた農民と同じように土の上に居るわけにいかない、と考える。

 口に入れる物にはあからさまな階層の思惑が組み込まれている。なければ飢えるものを、すんなり流されてしまう日々がいま身の回りに用意されている。
 メシ、食い物、食糧...。

 賢治は、賢治特有の優れた視点でヨノナカをとらえる。俗人がそれにぞっこんになりすぎると、さっさと大きなものにからめとられる。翼賛の“おしゃもじおばさん”みたいに賢治はキケンであるとも思う。
 好きなんだが、味方になってくれる、のではないのだ。

 おろおろ、と彼らはどこを歩いたか?
 水が来ない田んぼの畦をか?それとも街へ通じる道端をか?
 地球の気まぐれに左右されることが、身の危険に及ぶというのは、まさか動物的な枠組み下でのことではない。

 賢治を繰り返さない。
 賞味期限切れのコンビニ弁当の扱いをあげつらうヒマがあったら、手身近にある土に植える野菜の用意をし、虚弱なペットを囲い込むかわりに元気な山羊を玄関先につなぐべきであろう。

 土も玄関先もないと言うなかれ。ヘタにあるよっか可能性に満ちている。おろおろと歩かされる前に探せ!ということである。

 旱(ひでり)もまた楽しいノダ。

(ナガタ・ま)

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