2010年02月号
脳天気 農文化
発行;庭しんぶん
庭プレス社
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100228 シリーズ農字 20「落」
 落ちるべし、とはかなり過激な処方で、やや口はばかられます。
 字源としては、くさかんむりと、その下の「洛」(音で水がぽとぽと落ちる)とを合わせて、草木の葉が落ちる意味を表すのこと。
 落ちる、とは落ちぶれるだろうし、墜落とか落第とか縁起の良さとは反対のこととして登場する場合がほとんどですが、「磊落(らいらく)」なんてのは、物事にこだわらない柔軟さ、ということであって、多少負け惜しみみたいな感じもするが、お友達の字にしておこうかと思います。

 土の中で新しい音楽を、と、格好良く年頭に書いて間もないと思うのに、早くも2月が逃げます。音楽は?冬眠しているなあ。
 2月は中旬あたりに温度計を何度か確認したほどの冬らしい冷え込み(氷点下20度以下)があったけれど、先日は雪ではなく雨が降るなど暖かい。大雪地帯からクルマでやってくる客人に「たいへんだったかな」と気遣えば、「もう路面が乾いていて、スピード違反に気をつけなくっちゃ」みたいな返事であります。
 このまま春が早いかな、と思っても、どうせキリギリスだから、農家のように気ぜわしく動き始めることはない。近くの農家はビニルハウスの準備を始めていて、エライなあと少しだけ思いますが。

 ニンジンのストックが切れた、というので、畑に植えっぱなしになっていたニンジンを掘ることにしました。表面の堅い雪をスコップで割るとその下はさくさく状態。1メートルほど雪を掘り進むと土の匂いが漂ってくる。やわらかく湿った土の中のニンジンは強烈に香る。「おいらはニンジンさあ!」、「ああ、わかったわかった」であります。
 これはニンジン自身のチカラではない感じ。なにか強力な応援団を引き連れている。言ってみれば神様。土の神様。
 秋にニンジンを収穫し、直後に作ったジャムはすんばらしかった(自画自賛)。評判がよろしいので、一ヶ月後くらいに段ボール箱から取り出して同様に作ったのですが、お?あれ?、でした。ニンジンに土はこびりついているけれど、ひからびたそこからは神様が失せていたのです。

 廻りを見渡せば、冬枯れのはずの樹木のいくつかが芽をふくらませています。早すぎないか?! もう少し待ってて、切りたい木があるのだよ、次のシーズンの薪用に。
 キリギリスは出遅れる。木を切り倒すタイミングは2月の新月ごろというのを。かわいそうだけれど数本を近日中にと見定める。堅雪で歩き回りやすいうちに...。

 だらだら机の前で何かしているときに聞くポッドキャストに、いくつか気になる音楽が登場し、調べてダウンロードしてみる。その筋の情報をせっせと集めているわけではないので、ニールくんのような巨匠のことはともかく、聞き慣れない名前がほとんどで、評判など知るか!ってなことですが。インターネットでメディアは様変わりしたことを思い知らされる一瞬です。若かりし頃はラジオや雑誌の拾い読み(聴き?)で気になる曲や音楽家のことをせっせと調べようとしたりしたんですが、ヒマだったんだね。

 ひとつは「Cult Cloud」。北米・ミネソタの若者たち。主に曲を書いているクレイグくんは、新聞売りもやったピザ配達もやった皿洗いもやった靴磨きもウエイターもウエディングDJもナチュラリスト(これシゴト?)も...と36種の職業遍歴をHPで披露している。これから52種を越えるか、とも。ま、それはよい。バンドはギターやベース、ドラムに混じってチェロやバイオリン(フィドルでなく?)が配され、しかもライブ・ペインティングのメンバー二人も加わる。これはステージが楽しそうです。それに...HPにはいろんな音楽雑誌(Rolling Stoneなども)や放送で評価された(賞を得た)、とある。有名なのかな。

 次は「Shearwater」。ウィキで見ると海鳥しか出てこないが、どこか自然派って感じ。こういうことに関心がある、ということを自分たちのチカラで多様に表現しようとしているのがボクにもわかります。資料によればホームタウンは北米・テキサスのオースチンとあるけれど、この3月だけでヨーロッパや北米を中心に2日に1回くらいのライブをするということだ。そっか、それはスゴそうだな...。

 彼ら自身はきっと関心はないのでしょうけれど、販売の分類では「オルタナティブ」とか「インディ」とか。もうそんなものぉ!って感じでやってんだろうな。なかなかすがすがしい、であります。神様が...というニンジンほどではないにせよ、ね。

 農や自給に関心を持ってもらおう、というのが私たちがやってる講座の意図(のひとつ)ですが、上から下を引っ張る、という構図は避けたいものです。...いろいろな先駆者がいます、こういうことは大事デスよう、と教えをたれることは、できるだけ少なくしたいものだ、とあらためて思います。
 インディをヒットチャートに引っ張り上げたい人もいるのだろうけれど、まずはその人自身がやろうと思ったことにトライしてみることが大事です。こういう条件が整えばやれますよ、だなんてのに乗るのはホントじゃない。そういうのをあてにする人は結局はオンブにダッコだということが多い。始めればいいのですよ、そうすれば条件が整ってくるもの。
 「Cult Cloud」も「Shearwater」も、どこか自分流であることを強く感じさせます。それは個性とか独自性とかというものとはやや違っていて、また、デキの良さというものとも違っていて、そうだな、彼ら、やはり自分で始めることで神様みたいなものと遭遇した、ということなんでしょうか。

 かわいた(!)すがすがしい畑を作っていきたいものです。

(ナガタ・ま)

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