2010年03月号
脳天気 農文化
発行;庭しんぶん
庭プレス社
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100328 シリーズ農字 21「芽」
 くさかんむりと、音を示す「牙(が)」(たがいにかみ合う)とを合わせて、草木で、新しくたがいにかみ合う形で出てきた「め」を表す、ということです。
 下部の「牙(が)」は“きば”ですね。言われてみれば、芽が開き始めるとき、ちょうどそれはある種の動物が口を開き始めるのと似ている。だがそれは口(から顎にかけて)であって「牙」は二次的に連想されるものにすぎない。こいつがなんでくさかんむりと仲良くなっちゃったか...。また、たいがいその物騒な牙のある動物は肉食系かと思い、だから草とは縁が薄いと一瞬思ったりするが、しかし象なんかはどうだ?立派な草食系だ。...なんてことまでは考えずに、まずは口をぱくぱくした感じが字の創作者のよりどころだったんでしょうか。

 カップルも社会もかみ合っていないとなかなかむずかしい。かみ合い繋がっているのを大事にしないと向こうとこっちに分けて戦争なんかしちゃったりする。いや、「がっている」認識というのが現状丸呑みだから「しちゃう」のだろうか。むしろ「げている」感覚を研ぎ澄ますことがバカな振る舞いを無効にしていくのだろう、と思いたいが、コトはそう単純ではない。

 この3月末、新潟・山古志に行く機会を得ました。
 社説の明峯さんも参加している、東洋大・福祉社会開発研究センターの「中山間地域の振興に関する調査研究」プロジェクトの勉強会とリサーチに招いてもらったのです。私は札幌で行っている農的くらしのレッスンの報告などし、あとは地域で活動している行政関係、あるいは事業的に現地に関わっている人たちとのディスカッションに混ぜてもらったりしました。
 明峯さんの社説がありますので、ここではプロジェクトじたいに詳しく触れませんが...、訪問して感じたことなど、この場で少し報告をと思います。

・中越地震で崩壊した土地建物の復旧
・高齢化過疎化が進む村落の復興
 がそこでは課題となっています。現時点での事業は主に後者ですが、資金的バックグラウンドとしては前者ということになるでしょうか。

 復旧工事についてはかなり完成しています。山間の至る所、よろいのように見える土留めが施され、建物も一部を除いて(崩壊しかけた建物を記念碑的に残すようにしている部分もある)工事が終わっています。古い集落だということもあり、地震に対する対応「最」優先で復旧がなされたのかどうかはわかりません。新しい土留めが次なる地震にどの程度有効なのか、建物の立地(地形・地質)に改善の余地がなかったのか、など、詳しいことは今回聞けませんでしたが、いろいろな条件を加味し(原状回復等)、今回はそこそこやってしまった、ということでしょうか。
 谷から山の上方まで連なる棚田は、その規模(数・構成)に驚きました。もともと地盤がやわらかく(砂岩と聞いた)地震や自然災害で少なからず崩落することがあり、するとそこにまた棚田を作ってしまう、のだそうです。その地質のせいでしょうか、田の廻りやさらに上方の峰付近は樹木が貧相でした。崩落という理由もあるようですが、過去に使い尽くした(燃料など)結果と言えなくもないのでは?と思います。単年度ごとの作物(米や野菜)はともかく、樹木の再生産には土質が向いていないのかもしれません。
 田んぼはぬかるみ、水平方向の移動でさえたいへんなのに、垂直移動が加わる管理はとんでもないエネルギーを要することが想像できます。それが儲かるのであればともかく、街に住む息子や孫家族など身内に分配すればあとはいくらも残らない程度の現状の営農スタイルで、よくもまあ維持ができている。田んぼ一枚一枚が矩計ではなく自由な!形だし、だから最近機械力も入るように進入路などを整備したとはいえ、いかにも効率が悪そうです。
 それでも米を作るのか?とつい口に出そうになりますが、歴史的に米のチカラたるや恐るべし、ということなのでしょう(そこまでさかのぼって考え直す必要はないか?)。泊まった宿のご飯の量がすごかった。これでもかというくらい、朝も夜も。お昼のお弁当もご飯(これはおいしかった=村おこしのお弁当だそうです)。うどん?パン?、麦畑なんてないわけで...。

 2004年の地震によって全村避難となったものの現在は村人が戻り、生活のにおいがしています。ただ、地震前に690世帯2.167人(2004年)だった規模が、489世帯1.347人(2009年)に減っているとのこと。人員的に6〜7割の規模。さらに高齢化率(65才以上)34%だということで、部分的には限界化ということでしょう。
 災害復旧の公的な予算というものが過去はほとんどハードに偏って編成された反省をふまえ(たとえば神戸)、さまざまなソフト支援がここでは展開されているそうです。
 中でも「復興支援員」という制度が展開をはじめており、これは注目に値すると思いました。いま5人のメンバーが村に常駐(通いだが)し、住人の生活サポートを担っています。地元出身者だったり震災時のボランティアとしてというとっかかりを持つ人が多いそうですが、必要なことをやっている、ということでは彼らに自負もあり、村の人々からも重宝されているようです。バスなど公共交通機関はすでになく、病院や買い物に行こうにも自力ではむずかしい人がいるし、屋根の雪下ろしや除雪(「雪掘り」っていう!)も同様です。そういったことのアレンジ、また、地域おこしの一環として、何か産業的なものを興す必要を提案・端緒につけるというのもあります。へたをするとオンブにダッコになりかねないシゴトが山のようにあるということが垣間見えます。分野はソフトですが、ずいぶんなチカラ仕事です。
 これらのシゴトが、あるいは彼らの立場・役割が、どのような将来のために、という枠組みがらみになると、相当意図的な展開が必要とされるという気がしました。みんながんばってはいるけれど、課題は大きい。大きい課題にツバをつけていくためには、固定した役割分担の枠組み(役職)を自ら変えていかなければ、まずムリだろうと思います。その辺がタイヘンだし、そして、もしかして相当にこれは面白い。
 この制度自体がまだ固まったものでなく(?)、かなり流動的で、彼らの役割もそうはっきりしているものではないようです。そういう中での物事への対応は過分に彼ら自身に委ねられ、独自の判断でこなしていく日常があるのでしょう。少なくとも、それをまとまったものにし、支援もする中間的な組織・枠組みがないと、なかなか先は見えてこないのではないか?...。

 山古志は文字通り山に囲まれ、棚田が広がるその光景は牧歌的でなんかなつかしいふるさと(なんか箱庭みたいです)、思わず「いいなあ」と言ってしまいそうです。
 一方、本屋に行けば(山古志にはないので都会の、いやコンビニでもいいや)、偉大なる大都市・東京〜ニューヨーク...の情報ばかりがあふれ、いや、本屋がなくたって、山古志の晩ご飯どきにはテレビで同じような情報が流布される中、「住むなら青山に決まってるさ(高田渡「銭がなけりゃ」)」感覚にとらわれている人が相変わらずこんにち多数派であることに違いなく、それは1960年代・高度成長のありようから進化してはいても後ずさりがない。そんな大勢の中、震災後のキビシイ状況下だったり高齢化・過疎化が進む村にガイジン部隊がやってきて、「おお、偉大なる田舎・山古志」と叫んでも、たとえばそこに、「都市に隷属する田舎」というマーケット以上のものがはたして見えるだろうか?と、つい思ってしまいます。
 かつて高度成長期に、この村に宮本常一がやってきて、「牛には地元にたくさん生えている葛を食べさせればよい」など、そこに“あるもの”を育てる提案をいくつもしたことは有名です。彼は、同様に佐渡、対馬、周防大島などで“ないもの”探しに懸命だった時代状況とは逆行するような動きをしたわけだけれど、ある意味それはあだ花となった。でも、時が推移し、彼の提案が復活する兆しが今見えるような気もします。
 世の中、男も女も子どもも...いろんな人がいるように、いろんな地域があるはずです。課題はその自立性にある。自立とは、自分の足だけで立つこと、ではない。それは多様な支え合いの場面への能動的参加ということではないか?...。

 しかし、まだまだヨノナカは人々や地域をキョーハクします。自分のチカラ(だけ)で生きて行けなければ「知るか」って。大学も電車もそこで儲からなければ立ちゆかない、という制度はどう考えてもおかしい。しかし自治体も例外ではなく、経営がすべて。山古志もそれが理由で(地震後)長岡市に編入(合併)されたとのことです。
 住人の税金で運営される行政機関が、住人に対しなんでもしてくれるところではなさそうだ、という簡単なことが、右肩が上がらなくなったご時世下に、やーっとわかってきた、ということであります。先細りの中、地方自治体は民意の入り口などではなく、行政の下部機関という特性だけが生き延びている。
 頼りにしにくい行政ではあるけれど、一方、だからといって地域は(そして人も)、それとは別のどこの馬の骨ともわからぬ支えが有効ではない(キモイ)ことははっきりしています。「復興支援員」という制度がすべてではないけれど、地域密着型のこういったものが相当に可能性を開くかも知れない。たとえば住民と行政の間に立つ第三者機関として。

 なんか山古志情報はあふれている、と思いました。他に比べて量は多い。棚田、錦鯉、闘牛などがあるウツクシイふるさととして写真家がたくさん訪れるのだそうですし、歩いているとやはり何かスペシャルなものを感じます。
 復旧・復興がらみの企画で制作されたパンフレット類がたくさんあり、いただきました。できるだけありきたりのコンサルは入れないで関係者のチカラで作った、という心意気は買いますが、そもそも手法・構成はコンサルもどき、という印象を私は持ちました。悪口かもしれませんが、復旧・復興というオシゴトから生まれた、というように見える。必要なものも多いと思いますが、何かばらけているし、外人部隊には理解しやすいが、地域の人がこれをどんなふうに役立てるでしょう...。
 料理人であれば、この素材でこういう皿にし、こういうコースにする、というメニューをいくつも描くでしょう。目的を明快にしていく中で、何か情報流通のツールの開発が新たに必要とされているように思います。

 たとえば地図は有用だと思います。現状ではいくつも地図があります。地形図、観光・散策のルートマップ、罹災関係...。ばらばらなそれらはばらばらにしか情報が載っていません。また地域の日常的なことがらは地図にするという発想がそもそもなかったと思います。
 そこで、徹底的に地図を描く、というシゴトがひとつあると思います。
 壁新聞のように地域の人目に触れるところで、じゃんじゃん情報が重ね塗りされるようなもの。大きい方が良いと思います。物理的に工夫ができれば、いくつか情報を仕分けてコンピュータのディスプレイ上のようにレイヤ分けができるとなお良い。地域の様子が一望できるようなものにする。○○さんが○日まで入院してるから不在、なんてのも載せる。田植えや収穫の進行具合なんてのも。地形・地勢に関する情報もスケールが大きければ豊富になる。現状・日常を描き出すこと、そしてその前で公式、非公式の会合を持つことが大事、いろんな立場の人が。地域のそれぞれの人の頭の中にある地図をできるだけ可視化し公開すること...。リンクを張ること。グーグル・マップとウィキペディアの連携のように...。
 たとえばそうやって地域の(具体的な顔のある)課題を総合化し、新たなリアルを引き出していく仕掛けが“楽しい”と思います。誰が? 役所はむすかしい。住民ボランティア? まあ前者を取り込んで第三者機関が牽引するのでしょうか。

 山古志はいろいろなふうに象徴的にとらえられます。大河・信濃川に注ぐ多くの支流のうちのいくつか、カラダでいえば、毛細血管の先端みたいなところ。先端は大事だし、なによりそのことが面白いと思います。元気な芽が育つことを願っています。

▼リンク

山古志・公式サイト
http://www.yamakoshi.org/

地域復興支援センター・山古志サテライト
http://www.yamanokurashi.jp/shien/yamakoshi/

東洋大・社会福祉開発センター/山古志研究グループ
http://www.toyo.ac.jp/rc/cdws/project02_j.html
 (紀要ページに研究リポートが掲載されている)

(財)山の暮らし再生機構
http://www.yamanokurashi.jp/limo/

(ナガタ・ま)

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