2010年08月号
脳天気 農文化
発行;庭しんぶん
庭プレス社
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100828 シリーズ農字 26「茎」
 草かんむりは「草」で、その下に音を示す「けい」(縦にまっすぐ、の意)とを合わせ、草のまっすぐにのびた部分、「くき」をあらわす。と、辞書にある。
 文字通り、いも、まめ、ねぎ、など、いろいろなかたちの「茎」はおなじみのものだ。が、「一茎(いっけい)」なんていう、もの(細かいもの)を数えることばなんかは、すでにお亡くなりになっているように思う。
 パスカルが「ニンゲンは一茎の葦にすぎないが、考える葦である」と書いたのは17世紀。おい、考えているか?と問われればどきっとする。考えているかのようで、あれやこれやと満ちあふれ浮遊する材料を寄せ集めて、「ふり」をしているにすぎない、と自覚せざるを得ない場面も多々ある。しかも多方面から押し寄せる巨大メディアなどは、人から考える機会をじゃんじゃん奪ってもいる。考えないよう、考えないようにさせ、「あー」とか「うー」とか、ため息だかなんだか意味不明の仕草を押しつける。これは結果ではなく、意図であるとわたしは思う。
 それにしても「考える葦であることで、大宇宙の存在と拮抗しよう」というパスカルの姿勢(「パンセ」1669年)は、大雑把すぎる印象だけれど、いかにもヨーロッパ的という気がする。産業革命にまっすぐつながっているような...どうなんでしょ?

 この8月はまだあと数日を残しているけれど、夏日(最高気温が25度以上の日)ではなかった日がたった1日しかない。内地の酷暑にくらべればなんてことはないのだけれど、これは尋常なことではない。尋常でない結果のひとつとしてトマトの成績がよい。多雨のせいかやや病気も出ているけれど、じゃんじゃん収穫できる。
 こんなに北海道でトマトが採れて良いものか、と思う一方、はしゃいで瓶詰めなどをせっせとこしらえたりしている。たっぷり鍋にぶち込んでパスタの量よりソースが多いくらいのお皿を抱え込んだりする。

 トマトはペルー原産といわれる。
 16世紀のコロンブス以降ヨーロッパに運ばれ、普及にはやや手間取ったものの、たとえば18世紀後半にはイタリア料理で大きな顔をするようになっている。今や世界中でトマトが栽培され食卓にのぼり、生産量は野菜類のなかで2位キャベツに大きく水をあけてダントツ1位なのだそうだ。国別では中国が世界中の1/4を作っている(FAO)。イタリアもがんばっていて5位。
 そうか、そんなにも作って消費しているか...と不思議に思う。しかしスーパーには冬だって平気な顔してトマトが並んでいる。ケチャップ(買ったことがないけれど)、みんなそんなに食べているかなあ...。
 道北で農業を始めた人が「トマトもよくできるよ。無農薬ということもあってよく売れる」のだと言っている。北国でトマト...、やや(かなり)複雑な思いである。

 複雑...なのは気象や風土という条件ばかりではない。
 コロンブス以降のラテンアメリカでのヨーロッパ人による収奪のすさまじさというものをトマトは思い起こさせる。最近は黄色のトマトもあるようだが、トマトは赤い。紅い。なにか血まみれである、という気がしてならない。いま、のほほんとトマトを口にするわたしのせいではない、と思いつつ、トマトの先祖は呪われている。いや、呪っている、のか。
 たとえば16世紀にスペイン(コルテス)が占領したアステカ王国では、初期占領の100年間に、現地の住民が1100万人から100万人「に」減った(100万人減った、のではなく)のだそうである。
 アステカでは、食用ホオズキやトマトが食文化として大事にされていたらしい。トマトを幸せそうに口にしていた人々が1000万人殺されたのだ。

 もしかしたら、トマトはそのときから紅くなった、のかも知れない。

(ナガタ・ま)

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