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2010年09月号 脳天気 農文化 |
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発行;庭しんぶん 庭プレス社 |
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100928 シリーズ・農字 27「茶」 | ||
もとの字体は、草かんむりの下が「余」。「くさ」かんむりと音を示す「余(よ)」(にがい)とをあわせ、苦みのある木の意味をあらわした、のだそうです。辞書には「のち、字形と音を少し変えた“茶”の字に変化した」みたいに書いてある。いつ、どのように?に興味を持ちますが、調査していません。
お茶の木はつばき科の常緑低木です。が、その熱帯・亜熱帯の象徴みたいなものは、わたしが生まれ育った北辺・蝦夷の国にはありません。だいたい多くのツバキ科は日本が北限といいますから、ツバキ科のない場所は日本じゃありません。なんちゃって。 お茶にご縁がない、半世紀前の子どもの飲み物と言えば(相当アヤシイ)粉末ジュース、その後あるいはコカコーラなど(缶ジュース以前ですな)。粉末ジュースはなんといっても"ワタナベのジュースの素”。パインやぶどうとともにオレンジがあって(それがダントツ)、それと果物のみかんというものが相当に違っているという実感を持って飲んでいたことを、うっすら憶えています。果汁○○%みたいな話ではありません。もしも会社・ワタナベが極力本物らしくを目指した製品だったらそんなに社会にウケてはいなかっただろうと思います。大袋の姿もそうだし、味がなんというか、いかにも工場で作ったぞ、でした。もしかしてそれは社会の高度成長の渦にこのジュースで誘引されるかのような...。買えば、社会参加の切符を手にしたかのような...。 そう、あったあった。高度成長期はどんなものでも作り出した(わけだし、今もだな)と思います。“必要”かどうかなんてあらかじめ存在するものじゃなく、それは(も)作り出すべきもの(創造の産物)になっていた。し、社会に生きることは、それらをなんでも買えるように“成長”することだった、ですよね。そんなふうに、きっと世界でいちばん律義にそれをこなした結果、日本はチョー豊かになり、そしてその創造ってものが結果させた天まで届くガラクタの下敷きに今なりつつある、のですね。 お飲み物からやや話はそれますが、寒地・蝦夷の国では暖房が半年は必要です。 ただそんな達観したみたいな物言いもナンです。モノが出現したり消滅したりするさまは刺激的でおもしろい。きょうび「なくてもいい」は一方に有り余る物量の世界を必要としたわけで、じゅうぶんに前科があります。万博前の上海、その郊外開発の荒れようはかつての習志野か相模原か、みたいなディジャヴュでしたが、キモイとばかり言えません。土や溜まり水がケミカルな赤や青に染まっていたって開発が振りかけるマジックですぐに封印されてしまいます。 露骨な経済競争はキモイというより煙い。遠ざけておきたいけれど、ねとねとまとわりついてきます。そういうさなか、たとえばただ大きいだけじゃなくなってきた(!)大国・中国の振る舞いを気にしつつも、それを対象化し、ある意味利用し契機とすることによって、自分(たち)の位置の価値の転換をはかるべしと思います。政界の構図が変更になった日本ですが、その後も「力のある経済」なんてのはいただけません。大袋のジュースの素みたいに目立つスローガンはなんじゃらほい、ですが、そこからずれた独立性のある「居場所」の確保・確立が急がれるということでしょう。 居場所?それはもう庭(ガーデン)です。 * 旧字、草かんむりの下の「余」がやや気になります。 余っても困る原始狩猟民ならともかく、一定の食のゆとりはアンシンであります。金銀財宝がじゃらじゃら、ということなど望む人はまれで、ある日お腹が空いて台所に立ち、ああよかったこれがあるじゃない、みたいに発見されるようなゆとり。そういうファミリー、そういう個人レベルのゆとりは、なんかカワイイ。 オカネを貸す大会社・武富士が立ちゆかなくなりました。わたしは借りても返せないのでご縁はありませんでしたが、なにか社会の転換点である象徴的な現象でもあるような気がします。 武富士とカンケーないですが、お寿司といえばここと決めてた店がしまいになりました。ごあいさつされていたので、お別れに行かなくっちゃと思いながらついに最終日、電話したら「ここしばらく混んでたいへん、予約無理、でも来てみて」というので行ってみると、ラッキー、座れる。 気がつけば、なにかオカネとそれが対象にするモノとの関係が露骨に無骨になっています。払った分以上の(時には以下の)何か関係の空間とでもいうようなものが、なじみのお寿司屋さんには漂っているのに比べ、回転寿司には、牛丼屋、ハンバーガーショップも同じだと思うけれど直裁です。そこに居るということを特に考えないようになっている。ふーん、それがイイという向きもあるだろうかな...。 貸してくれるところがなくなったら、ナイ人はお腹をどうしよう。そういう時代に突入した、と思います。 * お茶といえばなんてたって明治の偉人・岡倉さんですが、そっちの話はちょいと宿題です。 (ナガタ・ま) |
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