2011年04月号
脳天気 農文化
発行;庭しんぶん
庭プレス社
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110514 シリーズ農字 30「菜」
菜の字

 字の成り立ちは、草かんむりは植物、その下「采」は指でつまみ取ること。あわせて、つまみ取って食用にする草を表す、ということだそうです。
述語でむずかしいものは「菜根」という、もう使われないですかね、「再婚」ならいくらでもあるけれど。これは直接には野菜の根ですが、そまつな食事=粗食に通じ、『菜根譚(cai gen tan)』といえば、中国明代(400年前)に洪自誠(hong zi cheng)という人があらわした本、儒・仏・道教の教えをもとに処世訓を説いたものがあります。
 日本では江戸時代から偉い人たちがそれをよく読んだらしく、近年では五島慶太、田中角栄、川上哲治...なんて名前が本屋さんのサイトに出てきます。『菜根譚』という書名(もとは采根譚)は、明代よりさらにさかのぼる宋代(1.000年前)の学者の言葉「人よく菜根を咬みえば、すなわち百事なすべし」(堅い菜根をかみしめるように、苦しい境遇に耐えることができれば、人は多くのことを成し遂げることができる)という言葉に由来しているそうな。
 わたしは実業家でもないので、多くのことを成し遂げる...なんてことには距離があります。でもカタイもの=できれば避けたいものとでもいうような通念にはハテナ?と思うから、教義的な面を見ないようにしながら共感したことにしておきます。直接的ですみませんけれど「やわらかくておいしい」や「くせがなくてたいへんよろしい」では生きていく喜びが半分くらいになっちゃいますものね。ハイジの黒パン・白パン話もパン自身にとってはえらく迷惑な例えられ方だったと思います。また、やわらかくてくせがないのがいい人というなら、そうか食べ物同様に大発生中なのかもしれません。知るか、ってことですけれど。

菜園

 さてこの3.11以降、自家菜園で悠々自適とはいかない時代になったということだと思われます。
 自家菜園は基本ではあるけれど、それが自閉するのではなく「開く」ことが急激に要請されることになったのではないか?
 これまでともすれば自適は自閉であったと思います。自閉...別に悪くはないけれど、開いて社会と接点を増やす必要が高まったと見ます。チェルノブイリ以後ソ連が崩壊し、でも多くの人々が生きのびられたのは彼ら自身が運営した菜園=ダーチャのちからによるところが大きいといわれてきました。タネをまき、収穫があってもなくてもまあいいか、スーパーもあるし、ではなく、着実に家庭を支える、それしかない食べ物生産工場だったわけです。それも自適でしょ?と言われれば、まあそうねだけれど、ネコの額での趣味とは大違いだったんだと思います。
 震災が起きると、人々の暮らしを支えるライフラインと呼ばれるスパゲティ状態が崩壊します。それに加えて大がかりな仕掛けに頼って暮らしが成り立ってきたことが痛感される。それに今回は「あり得ない」と言われてきた原発の崩壊。復興というのは、もとの状態に戻すということだけれど、またスパゲティ状態に帰るんでしょうか?
 自閉のイメージというのは、スパゲティの先端で個々がいろいろまかなえてあたかも自立しているかのようなんだけれども、バラバラに管理されている状態を言っています。自家菜園はスパゲティ何本かをちょん切るだけかもしれないけれど、それでも自閉(管理された)からある程度出て、人々のある種の連合、自治(自由)へむかう回路をはらんでいるのではないか...。

疎開

 過去、被災地支援というのは、被災地に行って復興支援をする、当然被災者は被災した地元でがんばる、というものでした。現地支援者はおおむね被害のない地域から出かけていき、支援物資を送る人々は被災地を箱庭のように遠巻きにするかのようにしている。それが今回は、被災規模・範囲の広大さと原発事故のせいで、過去のそういった構図がくずれたと思います。震災直後にわたしは「これは疎開だ」と直感しました。「そして被災者といっしょに被災地がこちらにやってくる」のだと。
 なんでもなかったところに被災地がやってくる。なんでもなかったはずの場所が被災地化する。道ですれ違う何人かが被災者だったりする...。彼らへの一方通行的な支援では済まされなくなり、自分たちの(と思っていた)場所をこれからどうしていくのかが問われる。お互い様というのじゃない、彼らはまさに鏡のように立ち現れてしまった...。

うけいれ隊

 震災直後、札幌ではNPOなどの市民活動団体が中心になり、市民に声をかける形で震災支援チームが立ち上がりました。その中で疎開対応をしようというメンバーをつのり、わたしはいま「うけいれ隊」という名前の活動体のなかにいます。それを少し紹介したいと思います。
 疎開希望者はまず行政窓口等で住まいさがしをします。政府の指示があり、公営住宅の空き家は事実上1年間無料で提供されることが決まりました。わたしたちは最初は「家探しかな」と考えていたのですが、すぐに方向転換、疎開生活の具体的なサポートに取り組みはじめました。
 被災者の多くがじゅうぶんな生活用具を持ってくるのではないので、家はまずあるけれど、電灯がない、食事を作って食べる道具などがない、寝る布団がない、ということで、市民に声かけをし、余っているなどするそれら家電や家財を提供してもらい、被災者に届けているというのがもっぱらうけいれ隊の活動です。

 いくつか内部ルールをこしらえました。
 1,市民から提供してもらうものについて詳細に調べる。不要品の廃棄と混同されないようにする。
 2,提供品は受入が決まるまで提供者の手元におき、倉庫を持たない。
 3,手配のコーディネートは、ルールが徹底できるうけいれ隊のメンバーがする。
 4,メンバーは御用聞きというかたちで被災者に接する
 5,もののやりとりの中でできるだけ信頼関係を作り、もの以外(ケア、生活支援など)のサポートにも取り組む、など。

 1ヶ月ちょっとで20組余りの被災家族に物資提供をしたことになります(いまでも支援希望者は増えています)。1軒に1回の搬送で済むことはまれで、はじめに基本的なものを持って行き、「これでだいじょうぶか、ほかに何か?」と数回は通う。5月はじめの段階で札幌に180家族くらいが疎開してきているのだそうですから、わたしたちが対象にしてきた方々はわずかな人数かもしれません。けれど、被災者をマクロでとらえ、十把一絡げで支援することははばかられました。被災者ひとりひとりに被災のかたちがあります。行政レベルではともかく、わたしたち市民=隣人レベルでは、できるだけの丁寧な支援は自明なものだと思われました。
 うけいれ隊の中心メンバーは10人余り、業務(!)連絡はメーリングリスト。毎日40〜80通にもなる動きは半端なものじゃありません。たまたま時間を作れる人が終日作業し、ほかは仕事の傍ら動いている。またほかに配送などのボランティア(個人や団体)がエントリーしています。毎日数回どこかからどこかにモノが動いています。

言動

 震災以後、いろんな言説があります。
 いろいろあるのだけれど、はたしてどのような行動に結びついているか(なにをしたのか)、が気になります。言うのはよい、いろいろ考える。でもヘタすると、足が付いていっていない。アンタ足があるのか?と問いたい物言いも多い。
 うけいれ隊は言説が少ない。たいがい活動を「これです」とまとめたがる人材が出てくるのに、どうもそれを避けている感じがあります。とにかく体が動いている。そうせねば、と。

 大仰な..だけれど、わたしには3.11が2回目の敗戦と思われました。かつての敗戦の時、体を動かし具体的な展望(自発的な戦後)を切り開こうとした人がどれほどいただろうか...。ま、いたのかもしれない。いたとしたらそれが連続していない。不勉強?それもあるかもしれない。けれど、どこかでぽっきり折れている、か、折れる程度のものだったか...。
 何人か立派な人たちがいた。理想は立派な人たちにおまかせでもあった...。

 震災の数日後、スウェーデンから電話が来ました。その友人いわく「この事態にキミはなにをするのか?そして世界にむかってどのような意向を表明するのか」。

 舵切りの時節だと思われます。口だけで舵は切れない。
 船を用意し操舵室に入り、ボォーっと汽笛をを鳴らして、さあどこへ行こう。

(ナガタ・ま)

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