2007年09月号
ニュース
発行;庭しんぶん
庭プレス社
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070928 ビルマが燃えている
/ナガタ・ま

 ビルマが燃えている。

 ヤンゴンあたりは10月になろうかという今でも最低25度〜最高35度くらいの気温の推移だろうか。暑いだろうな。
 暑いところがさらに熱くなって人々がたたかいを繰り広げている。ぼくは台所で10月になろうかというのに今でも赤くなるトマトを煮たり裏ごししながらラジオのニュースを聴いている。キモチは指先や目より耳に行っている。世界各国がビルマの軍政のひどいやり方ををおおむね非難し、是正がなければどうスルとかこうスルとか言っている...。民主化と言ってしまえばなんだか薄っぺらだ、と思う。でもそんなのは傍観者のたわごとだろう。自由を求める熱い魂に銃が向けられ警棒が降り下ろされている。怖いだろうな、痛いだろうな。

 殴るな。もう殺すな。

 民衆の自立への挑戦は血で贖われる。またかよ。
 仏の教えは静かな印象だが、ラジカルな行動にも結びつくものらしい。よほどの事態である。それだからだろうか、彼の国を牽引するのに銃が不可欠だということは。しかしあんなに長い年月。
 たいてい銃にはスポンサーがついていて支援がなされる。スポンサーは銃に触れることなく権益というやつを入手することができる。そのおこぼれに私たちは浸っている。今の私たちの「おいしい」や「シヤワセ」は巧妙にその硝煙たなびく恐ろしいところから運ばれてくる。憲法9条を守って「戦わなかった」ニホンの経済成長・繁栄などというものの本質がそこにもある。

 銃が向けられ警棒が降り下ろされるビルマの民衆に私たちが何か連帯・協力できることがあるとすれば、究極的なことに近いけれど、銃の背後に拘束される(一見守られる)日々から「降りる」ことにほかならない、と考える。それには相当な想像力を必要とする。日常のひとこまひとこまが銃のスポンサーのネットワークで埋め尽くされているのだから。
 実は「スロウ」だ「オーガニック」だ「ロハス」だは「降りる」ことへの入口としてこそ機能すべきである。狡獪なスポンサーはそういうすれすれの匂いまでも振りまき、「どうだそこまでだ」とうそぶく。ついその気になって「降りる」そぶりからはみ出すことが、即、銃口が向けられる側に立たされることになってしまうのは自明であるから。

 きっとビルマで赤い赤い法衣の人々が振りかざした握りこぶしは、軍政の当局者のみならず世界の人々=有志にも向けられている。
 用意はいいか、覚悟はできているか、と。

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