2007年12月号
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発行;庭しんぶん
庭プレス社
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071228 魚屋のおばちゃん
/ナガタ・ま

シリーズ;ポチ/0712

 今年夏に、行きつけの魚屋が店を畳んでしまった。

 そこは魚もさることながら大将=おばちゃんの講釈が楽しいパラダイスであった。入口を入り、これとこれとと注文を見定める前に「ニイさん、冷凍だけれどアラがたくさんあるのを持っていってちょうだい。このワカメはサービス。」だなんてのっけからパンチが飛んでくる。産地、賞味のタイミング、料理など聞かなくとも鉄砲玉のように情報がやってきた。
 それが突然「ごめんなさい、もうやって行けない。」であった。
 きっと高価な場所代を費やし、利ざやの薄いナマものと格闘し、家族+αの経営であっても日々回していくのは至難の業だっただろう。謝られたらこちらが恐縮で涙ぐんでしまう。
 閉店間際に行くと「他にこんなお店もあるから行ってみては?」とふたつほど教えてくれる。場所を説明したコピーまで渡される。その後行ってみたけれど比べようがなかった。以来めっきり魚を食べなくなってしまった。
 ダメだ、おばちゃんでなきゃ!

 小さくも独立した店が街並から消えていく。肉屋も豆腐屋も八百屋も。自分のところで扱うものだったら任せておけっていうプロがひきいる気概の空間が消えて行く。
 先日、東京の高円寺駅周辺を歩いたら、小さな店が軒を連ねる小路がいくつかあってにぎわっていた。すでにこういう場所は希少だ。「スーパーなんぞに行けるかね。」と言わんばかりの客があふれるヨーロッパの市中に展開するマーケット(マルシェなど)は魅力だが、その勢いに陰りはないだろうか。ユーロ、ごもっともなんだけれど。
 かつてプロから手渡しされたものたちは、ラップされつまらないラベル表示を貼り付けられてスーパーに並び、すっかり別モンになってしまった。
 こんな事象に今どき驚いている場合ではない。もう30年も40年もすたこらそんな調子でやってきたんだ。でも時を経、今となってもそれが趨勢だなんて言うのか?。懐古的に言うわけではない。きっとこの調子では世の中やって行けない。

 当然、食べ物に限らない。
 先日、知り合いのワカモノが大工道具をそろえたい、ついては道具屋をと言うので、そうだな、力量・使い方・懐具合など総合的に考えてくれるところを、と一瞬思って、待てよすでにそれは夢幻なのだ、と顔が赤らんだ。
 30年以上も前だ。すでに木工の大家となっていた早川謙之輔さん(2005年亡)に会いに行き、おいらもやってみたいと言ったら即「建築をちゃんとやれ。」とたしなめられた。次いで「趣味も大事だから。」と付け加えるのでいい気になり、東京を離れ木を削ってみたりしたわけだ。その時に世話になったのがNさん。彼の店に行けばいつも座り込んで鋸の目立て中。「もうこれをやる店が少ないから。」と気の遠くなるくらいの数の鋸を背に、手はやすりを掴んだまま相手をしてくれた。刃物、砥石、電動工具など彼から手渡しされたノウハウはどっさりあったし、こちらの成長不足がたたって手に入らなかった宝物は彼の背後にさらに山のようだった。ちょうどホームセンターなるものが跋扈しはじめた時だ。まもなく彼は店を畳み、この街を去った。

 どうすりゃいいんだ!と叫びたくなることはいっぱいあるさ。
 魚屋のおばちゃんも道具屋のオヤジももうあてにはできない。
 .....自分で生きなければならない。

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