2011年08月号/ Top
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発行;庭しんぶん
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110828 居住と人権・津波原発事故以降
/永田まさゆき(NPOあおいとり
 わたしはいまボランティア・グループ「むすびば・うけいれ隊」のメンバーとして、札幌周辺に避難してくる方々への生活支援をしています。

 避難者は、震災以前からの暮らしの場から引きはがされて移動します。原発事故による自主避難の場合には「引きはがして」移動すると言って良い。仮設が立ち上がりライフラインが復旧して暮らしが元通りに戻っていく地域もあるでしょう。でもなかなかそうはいかないところもあるし、原発事故の収拾見通し判断は別な意味でむずかしい。福島に帰らない・帰れないを早々に決めた避難者の方がたくさんいます。彼らは札幌でほとんどゼロから暮らしを立て直していくことになります。困窮状態直前、あるいはすでに生活保護等の手続きをはじめた人もいて、とんでもない事態であることがひしひしと伝わって来ます。
 また、未だ現地にいて避難を望みながら腰を上げられない人たちがいます。「必要がないと身内に反対される」「家族バラバラはいや」「離れると仕事の見通しがない」などいろいろな理由があるようです。主として暮らしの経済的な根拠を優先すれば「だいじょうぶ、動かない」に、命最優先で行けば「だいじょうぶと言えない、避難する」に傾きます。家族内で見解が分かれ、後者のガマンが高じれば、その家族のまとまりを「引きはがして」脱出をはかることになります。
 この夏休みには、全国各地で一時避難のイベント(キャンプ等)がかなりの数開催されるようです。自発的には腰を上げることができず悶々としていた人々(とくに母子)が一斉にそれに参加し、参加したまま帰らないというケースが続発するのではないか、という気もしています。

 避難者は、遠く離れた避難場所に「被災地」を背負ってやってきてしまう、とわたしは感じています。もはや対岸の火事ではない...。その時点で、支援というものは、だいじょうぶな人がそうではない人に施すサービスなどではなく、互いに当事者たることが要請され、ともにこれからをどう生きるかを想起せざるを得ない枠組みへと変容してしまっている。
 暮らしを復旧する必要があるのは彼らだけではなく、彼らに手をさしのべたはずのわたしたち自身でもある、という気がします。被災したのは道路や橋や建物ばかりではなく、そこに立ち上がっていた暮らしそのものです。暮らしの様式、とでもいうか。それはわたしたちととても共時・共通のものです。支援活動をしながら、つい不遜なことがアタマをよぎります。「こんなことをしている場合か?じぶんの足元はどうなんだ」と。

 世の中、震災の後は復旧・復興ということになっていますが、わたし(たち)はもと居た位置に帰れない・帰るわけに行かないと思うから、違和感を持ちます。それと違う目標を立てて動いていく必要があると考えます。
 すなわち、居住のスタイルやその底に流れる人権意識の創造的変更・深化が強いらる、そういう時代が強制的にやってきてしまったという気がするのです。

自由学校「遊」・通信「ゆうひろば」2011.08号)

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