050324 久々サイトの更新
今度は「あおいとり〜レッスン」のも作って。サイズが大きくなってしまった。10Mしか使えない契約プロバイダではどうにもならない。タダのサーバも検討したけど、「.Mac」へ乗り換えか?
批評のフィールドが必要。キイは Usso (嘘)。
圧倒的に大きいバクダンみたいな支配の嘘に対して、良心のピストルでは勝負にならない。嘘には別な嘘。思いっきりファンタジックな紙鉄砲がその相対化には有効な構図と考える。
一日一善じゃなく、一悪。一日いっぺんは嘘をつきましょう。
真実(があるとすれば)は嘘の向こう側にある。フランスのアニメ「ベルヴィル・ランデブー」をみて、そんな気がした。
ついでに今年になってみた映画で印象的だったもの。
「氷の国のノイ」;ひとりでいることの幸福感。
「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」;フランスだぁ。
「モーターサイクル・ダイアリーズ」;よいエーガになっちゃってるけど。
「バルリン・フィルと子どもたち」;やるなぁ。
「パッチギ」;単に同世代ってだけだけれど。
ほかにマーティン・スコセッシのブルースのドキュメント。
昨日、丹下死す。
でも年末に死んだスーザン・ソンタグのことを思う。
めったに見ない新聞に由里さんって人が、故人の言葉として「質問を破壊する回答の用意」と書いた。そんな強力な嘘がつけるかってことだ、な。
マーケッティングの創始者だという「I」さんに会う。
ぼくの父親と同じ歳(大正末生)。日本の流通を率い、いま「工場とストアの時代の終焉」を言う彼と「これから」の話しをしてみたい。
東西交易による文明ではなく南北交流に未来をという。では北からはどうしたらいいのか、が宿題。
041223 札幌便り
9月の台風で市内のたくさんの樹木が折れたり倒れたりしました。
風速50メートルを越える風は「...始まって以来」と言われるまでもなく初体験で怖かった。
近くの円山公園の雑木林は「すかすか」になり、原っぱに近くなってしまったところもあります。林の向こう側の住宅街が見通せるようになり、間が抜けた光景が広がっています。
行政は緑の回復といって植樹を進めるとかの発表をしましたが、一方で都心開発によって樹木を減少させるについて、行政・市民の大枠は関心が大きいわけではなく、これからのまちづくりの中での緑の位置づけもさして期待を持てるほど大きなものになりそうにありません。
東京ではヒートアイランド抑制の手段として樹木の役割の見直しにリアリティはありそうですが、寒冷地札幌ではどうも情緒的な話しに終始しがちです。
開発予算低減による費用対効果ということかと思いますが、現在、都心部の開発計画がめじろ押しです。
たとえば、都心交通の見直しということで、車線数を拡張したり立体化したりの計画が複数着手されたり着手寸前となっています。
市民の意見を聞く会が催されたので、計画そのものに否定的な発言をしたりはしましたが、開発による利益優先という風潮(不景気ですし)の歯止めにはなりません。具体的な対応策の話しをする場面がお膳立てされたこの段階で、数人がビジョン論争というフィードバックを全体に挑んでも取りざたされるわけがありません。
たとえば、創成川という都心の貴重な水環境の両サイドに幹線道路があり、交通量を増やすべく地下道をその下に造る計画が実行に移されそうです。川沿いにある古い柳やライラックの並木はそのとばっちりをまともに受けます。約500本(?)が移植や伐採の対象と聞いています。計画では、新たに憩いの場を市民の意見を聞いて「ついでに」作ることになっていますが、白々しいものです。
また、札幌の駅前通りはかつて路面電車が走っていたところを、廃止とともに中央分離帯や歩道に楡、アカシアが植えられ、40年後の今は両側4車線を覆うかのように立派に育って、特に駅から降り立つと「ああここは札幌だ」と思えるような風情ある一角です(楡は植樹時点で樹齢30年)。
ここも地下歩道の計画のために木は切られるらしい。私は天候に左右されない地下という人工空間の有用性については大いに疑問を持つし(同じ意味でドームというスポーツ施設も)、そうではなく地上の再開発(車両減、緑増含め北国らしい半戸外空間デザイン)こそいま必要なものと考えますが、行政が行ったアンケート等では過半の市民が計画賛成とのことです。
そして北1条通りという幹線道路は拡幅のため両側の古い並木が数百メートルにわたって無残にも切られました。これについては市民が実行前に口を挟む猶予はほとんどなく、行政は過去に決定された計画を淡々と実行したにすぎない、というものかと受け止めています。
ちなみに市の長総(未来形)とこういった実行プラン(現在形)とは矛盾も甚だしいのですが、人口180万の巨大ロボットはアタマから手先までの意思伝達にチョー時間を要するものらしく、しかもフィードバック回路を欠いたモデルなのでリニアにしか計画をとらえられず、まさかスパイラルに行きつ戻りつやっていく手法獲得などまだ先のことなのでしょう。
行政やコンサルが用意する完成予想図には現状に勝ると劣らない大きな樹木が描かれます。しかし実際には枝葉を広げるスペースがなかったり、大きく育つための土被りが(人工地盤の場合)用意されなかったりしています。そういったアリバイみたいな対応もさることながら、都市内のグリーンに人々の関心がそう向けられているわけではないのでしょう。
それは自然の産物でありつつ、植木鉢の盆栽のように人々に好ましい印象を与えるもの「だけ」でなくてはなりません。大量の落ち葉の処置や台風で折れて下敷きになるかのようなリスクは必要がないわけです。
(もっと言えば、都市にあってニンゲンも緑と類似の、いわば好ましい風景のような存在を要請されるという原理からの脱却を図るとすれば、なかなかむずかしいことなのですね。)
こういったことについて、私自身はおおむね「開発の時代は終わった」(*)という立場をとりたいと思っています。
先を見通せば、より小さく、よりスロウな社会的枠組み(=都市)の用意が急務と思います。否応なくそこへ至るという確信も持ちます。だから現状(開発=利潤)は過渡期的なものと受け止めざるを得ません。
ぶつくさ言っても力になりませんし、かといって諦観もない。
そんな未来へ至る別な回路(=モデル)を主体的に準備していくことが有志に求められているのだと思います。
準備、それは作戦です。
作戦、それは陽気なものである必要があります。まなじりを決した対決にろくな結果は期待できない。戦いというよりはむしろゲームみたいなものかなぁ。
少し飛躍があるかもしれないけれど、その手法についてひとつキイワードをあげれば、自給的な暮らしをネットワークしていくこと(「的」がミソ)。
誰か見ず知らずの人や体制におんぶする一方ではなく、自前の根拠(空間)を立ち上げていくことが次の「もうひとつ」の必要性を構成するはずです。
田舎暮らしとか農的な生活がもてはやされる風潮は良い兆しと思います。ただ大事なこととして、それが「個」の満足に終始しないこと、また先祖返りのように過去のお手本に向かうものだけにしないこと、あるいは、それを目的化してそれ自体によっかかりすぎないこと、等の注釈を添えたいと思いますが。
私は数名の参加者とともに札幌市内を見下ろす山の上で「あおいとり計画」という小さな試みを始めています。それは、暮らしの場所の再デザインという主旨を持ち、住まいでもあるような・工房でもあるような・お店でもあるような・農場でもあるような多様さを持ち始めているところです。
こういう計画自体決して新しいものではありませんが、それこそスパイラルのように希望的な社会の枠組みへアプローチする手法モデルとして、大事に育てようと思っているところです。
この「あおいとり」の山の木も台風で相当に倒れ、片づけなくてはと思いながら積雪期を迎えてしまいました。たぶん3年分の薪に不自由しないでしょう。キリギリスであることを反省したのもつかの間、春の仕事を楽しみにしているこのごろです。
*;脱「開発」の時代/ヴォルフガング・ザックス編/1996年晶文社刊)
※本稿は「森の仲間・通信」2005年2月号掲載のもの。
041120 器用貧乏
札幌の市街地に隣接する山で少しばかりの畑を耕し、山羊・鶏・兎などを飼っての自営の暮らしが20年すぎました。
これは小さいころに器用貧乏(たとえばお百姓が農業者へ「高度成長」する時代観にそぐわない)と親が危惧したありようそのものかもしれないとこのごろ思います。しかし時が過ぎ、その器用なお百姓(と比喩される存在)を現代は必要としているという実感を持ちます。
細かに枝分かれした分業をお行儀良くこなし産業社会に貢献する不器用な多数の現代人は、お百姓という全的な存在に向けて歩みを変える扉を開き、たぶんそこからつながるであろう、それまでと違う新たな協調協働の広場(社会)の主人公のひとりとして出直すチャンスを持つべきではないか、と私は思います。
幸いにして北海道には土地の広がりがあり、加えて日本の伝統という枠組みが有効に働きにくい寒地特有の暮らしのテーマに満ちあふれているわけで、足を突っ込めば愉快この上ないとオススメする次第。
040901 オルタナティブ・ハビテーション
結果的に私たちの暮らし方は、9時から5時まで会社で働きそれ以外は自由時間というような社会システムを逸脱し、可能な限り労働も遊びも混然となった自分の時間・場所の維持の模索だったと思います。
ハローワークへ行っても遊びの紹介はしてもらえません。やりたくない(面白くない)ことを避け、やりたい(面白い)ことを暮らしの軸にすることが私たち風自立のイメージです。
十分な展開にはまだ至っていませんが、その現場を見ていただければと思います。
「オルタナティブな働き方から地域の自立へ」
「遊」主催講座(2004年9月/於トンネル山)担当の内容紹介
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