Usso800_0504

雑記帳

050416 渡さん

 高田渡2005年4月16日午前1時、釧路にて客死(細菌性髄膜炎)。
 1984年冬、札幌の我が古家の18畳の居間を埋めた90人以上の酔客に放った歌であるとか、とっかえっこしたリュックを始めとする思い出を残して「おおきなもの」が旅立ってしまった。


050408 続・図書館

 「Google の資金援助によって米英の大図書館の蔵書をいっきょに数百万点デジタル化する、という例の巨大プロジェクト...後略。」(津野海太郎/「本とコンピュータ」2005年春号)

 事務機器メーカーの展示会でオート・シート・フィーダー付きのスキャナーを見る。本の背表紙をちょん切ってつっこむと、あれよあれよという間にデジタル本ができてしまう光景が目に浮かぶ。住宅一軒分くらいを埋める本を持っている知人は、この機械で整理したら不動産管理費の節約になる。
 「許可なく複製を禁ず」である。このデータを配ったり共有空間に置いて利用しようとしたらお縄ちょうだいになる。音楽CDのコピーよろしく本のコピーもあくまで個人の使用が原則だから、立派な市民でなくともこの約束は一応守ることになっている。
 税金で成立する図書館は表向きタダで本を貸してくれる。これは合法。私財を投じた勝手図書館でデジタル本の閲覧(配信)はダメかぁ?...。なんてことをむにゃむにゃ言ってる間に、Google がさっさと新しい図書館や書店を始めてしまいそうだ。それも世界規模で。

 先日、自分たち流の図書館をつくりたいと書いた。
 温度湿度だ防火だ重量だってなアナログ本の自主管理は容易ではない。しかしGoogle にまかせておけない。自分らだって本の共有はデジタルだからこそ可能性があるし現実味がでてくる。だがそこに「お縄」の壁が立ち上がる。

 時代は変わる。
 情報流通も(表面的には)激変している。かつてあったものを上から下から懐かしがっていてもどうにもならない。「お縄」の壁も変わるべくして変わるのだ(ホントかぁ?)。けれどそれを待ってはいられない。大きなものに振り回されつつも、「自分たち」の連合的対抗は手を換え品を替え実行され続けなければならない。
 どうにかして図書館をつくりたい。

050405  図書館

 図書館を作れたらいいなぁと思ってる。
 前に「バス停にひとつの図書館を」なんてスローガンを聞いたことがあるけどそれは北米の話。札幌にも図書館はアル。中央館に55万冊、区ごとの9館に計70万冊、区民センターとか地区センターの図書室26カ所に計75万冊、全部で200万冊札幌市民は公的に本を持っている(実際には公民館などにももう少しある)。1人に1冊。
http://www.city.sapporo.jp/tosyokan/ht/riyoutop.html

 わが家にも本がアル。本フェチではないけど、ま、アル。
 図書館に行かない。本は買うものであるし買いやすくなった(インターネットなどで)。図書館に行って、あるかないかわからない本を探すのは面倒。いまはWEBのサービスなどで少しは違うが。
 買うにしても借りるにしても、こういった本の流通というものがいつまで続くのだろう、と考えてみる。心配してんじゃない。そんな...、心配っていったら、バカヤロウがぶっとばしたバグダッドの最古の図書館のことが頭をフットーさせる。
http://smile.poosan.net/mangamegamondo/annex/fisk/index.html
 あちこちに本はあふれる(日本などでは)。あふれるほどアルなかで自分に必要そうなものは...、きっといっぱいアルんだろうなぁ。大事だと思えるそういった本だけ大事にしていく手はないか?
 公共図書館にきちんとリュクエストをしてきちんと借りられるシステムを確立しようとするのか?今後も。オカネがかかるだろうなぁ...。税金をつぎ込むのかなぁ...。

 中学のときだったか、小さな農家をしていたおじさんが急逝し、お葬式に連れられていったら彼の本箱(小さなものだったと思う)にボロボロになった宮沢賢治を論評した本があって、なんだかものすごく悲しくなった(気がした)。田舎ではちょっとはずれたロマンチストだった、と思う。あの本はその後どうしたんだろう?
 んで、ぼくが死んだら、ぼくが手に入れてきた本はどうなるんだろう?いや、知っちゃいない。適当に処分されたって悲しかない。悲しかないが、ぼくというものを形成した元凶でもあるその本(の一部)はちょいともったいない。バグダッドにあったものとは比べようがないかもしれないが。本は消費され捨てられるものである(ことを受け入れる)一方で耐久性を持たせたいものもいっぱいある。

 良くない想像をしてみる。
 たとえば友人が死ぬ、とする(だんだんそいう入り口の世代だもの)。
 本屋に行かなくても図書館に行かなくても彼の書棚にぼくの読みたい本がある。だってともだちだもの。ともだちという関係の検索フィルターをいっぺん通って(ある種の)情報は絞り込まれている。そこに自分が欲する情報がある確立は一定程度高い。
 彼が死んじゃうと...、もう読めないそれは。
 だから、彼とぼくの垣根をこの本という部分(カテゴリー)だけとっぱらって、とっぱらう垣根をもう少し広げれば、ね、図書館ができるわけだ。

 ないものがだんだんアルという事態を希望的にやってきた。いまアルものがだんだんなくなる。ケチといわれて結構、なくなるものを残そうではないか。
 死んでからでは遅い。死ぬ前に残す手をうって、ついでにその図書館を利用しよう。

 まずひとつ。身の回りにアルいつも手元に置いておかなくても良くなった、捨てるにはもったいない本を集めよう。人口が減るんだ。余った建物はなにかある。少しずつ出資もして司書なんか置いちゃって。整理整頓検索サービスは大事。あるかないか苦労するデカイ公共図書館の維持よりも、あるものしかない自分たちのちいさい図書館を作って、いくつもそれがネットすれば...、できた!

050402  大雪

 あきれたこの大雪。いつになったら畑に出られるか。