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雑記帳

050526 友部くん

 トンネル山でも2度ライブをした友部正人くん。札幌市内ではKくんがこのところ主催を楽しんでいて、5月25日、恒例の円山「くう」で歌うのをOnと聴きに行く。片道1時間の散歩をかねて。
 唄歌いが自分の好きなふうに演ずることは、ファンだし、うれしいことが多い。でもこの夜の“あつくならない”ムードはなんだったのか。もちろん形式だけの盛り上がりなんてまっぴらだ。遠慮がちな札幌らしい雰囲気ってのもあるかもしれない。しかし、唄歌いはお鍋の中ではじけるのを待っている(と思う)。観客はそれぞれのまなざしという火力で唄歌いに要求を出し、その料理を主体的に楽しむんであって、逆、つまり払った入場料分の対価を求めるだけのような姿勢?では、のこのこ出かけて行く必要がない。と思えるほどに情勢ってやつがこういう場面にも顔を出す、ということだろうか。
 60年代のパリ。「シネマテーク」のなかは火の粉だらけだったことを「ドリーマーズ(ベルトリッチ/2003年)」はかいま見せる。いまヴェトナムはなくてもイラクはあるしほかにも課題は降り積もり続ける。この夜友部くんが「Speak Japanese, American」と叫んでも森閑としているのは、なんだ?いったい。
 そう、「Speak Japanese, Japanese」。
 ともあれ、打ち上げではこの日55歳になった友部くんを祝うことになった。あわててトンネルにとってかえし“やぎや”からパン・山羊チーズ・チョリソなどを持ち出した。彼のパートナー・ユミちゃんが「うー動物みたいになっちゃう...」と言いながらチョリソをかじった。友部くんは「持ってかえっていい?」と言いながらみんなの視線があつまるチーズをかばんにしまった。外に出るとさっきのチーズみたいなまあるいお月さまが街をやわらかくてらしている。光線はぬるい春。だが吐く息が白い。


050525 宿六

 離れから約10メートルだけ仕事場を引っ越し。「やぎや」二階の宿六となる。朝日がたっぷり差し込み夜明けが気持ち良い。早起きしすぎて午後は眠いけど。
 階下で、というか「やぎや」でセロが鳴っている。
 このあいだ亡くなったTさんは若かりしころ映画館の装置も手がけたという。「エンクロージャーは大事。」と言ってたっけ。この築60年あまりの木造建築はスピーカーみたいに鳴るんだ...。
 あ、若い彼女のセロはちょっと早いバッハだったがとても楽しく美しかった。「自分のプログラムでね、ここで演ってみたい。」と言ってくれた。


050526 冷害?

 寒いことがほんとうに良くないこと(害)なのかどうか検討の余地はある。ただトンネルはこの20年来いちばん遅い春。いつもよりたくさん馬鈴薯を植える。家畜に食べさせてと人からもらった馬鈴薯にわずか芽が出ていたのでこれも植える、が、ふと放射線をかけていないかなぁと心配になる。せっかく植えたのに...にならないように!


050514 ガーデン

 息子と並んでクワをふるうなんて考えてもみなかった。デスクワークの気晴らしに野良へ出るのなら良い。ついついというヤツがアブナイ。わかってるのに。


050507 Tさん

 4月25日、在東京。祐天寺で食したワイン付昼食の腹ごなしに、目黒川沿いを渋谷まで歩く。川の構造はともかく、周辺のリノベーションが進み緑豊かなおもしろい地区になりつつある。しかしうがって見れば東京の土といい建物といいどれにもまずは値札が付いているのだった。
 歩いていても眠たい陽気。
 羽田から千歳へ、空港で待ち合わせた息子と運転を交代しながら日高・浦河へ走る。翌4月26日、ギョウジャニンニク採集。雪どけの谷筋は陽も水もまぶしい光にあふれ、水芭蕉やヤチブキが咲きみだれて、あの世なのかもしれない瞬間が広がっている。個人的にはこの季節はちょっと怖い。自然の急激な息吹がニンゲンの生気までも吸い取るかのようだから。でも美しい。
 毎年のように北海道のこの時期の散策を東京から楽しんだTさんは病に伏して来られない。ならばこのギョウジャニンニクを少し送ろうと考えつつ札幌にもどった。ちょうどこの日、Tさんが亡くなったことを翌日奥様からの電話で知った。
 Tさんには30年来お世話になってきた。リベラリスト。紳士。電子機器製作会社を主宰し、たまごの会の強力なメンバーであり続けた。食べもの作りがテーマだったたまごの会の農場に建築自給を持ち出し、そうだ、なんでもかんでもが課題なのだと農場スタッフの私たちワカモノは色めき立ったのだ。次いで27歳の若造(私)に自邸の設計を発注(なんという冒険)。社屋は同じく農場スタッフだったKさんが設計をというつき合いをしてくださり、技術者かくあるべしをことあるごとに説かれた。
 葬儀のあとKさんが「プロジェクト・エックス世代の終えんだ。」と言ったが同感。ならば私たちは何なのか?という応えをTさんは川の向こう側で待っている。