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雑記帳

050621 ご馳走を毎日食べよう〜親愛なる豚くんのために

 犬猫は相当に飼われている。特に牛・馬みたいに大きなものでなければ家畜も現在のペット並みに家庭で飼う現実性がある。そういう現実を引き寄せることができると良いなと思う。豚は多量の排泄物の始末が課題となるので住宅街ですぐに飼うわけにはいかないかもしれない。近隣にトンネル山のような場所があれば実現が可能だからぜひオススメしたい。食べるものの世話や排泄物の処置など複数で取り組んだ方が現実味が出てくる。

 豚は人間の食べ残しを食肉や油に変換してくれる。街の食べ残しを堆肥に直結させ“農業”の循環に組み入れる試みが札幌でも始まった。それにも一定の意義はあるけれど、加えて、街であっても家畜を小規模に飼育することは“農家養豚”をされているような方との提携が前提になり、これもまた人や地域のサーキュレーション・関係資源として潜在的な値打ちを持っている。
 豚は土を掘り起こすので、トンネル山では開墾にも寄与している。街のアスファルトを彼らが好んで掘り起こしはしないかもしれないが、豚が活躍する街の再開発なんてチョー素敵だ!
 環境は種を規定していく。今年わたしたちが苦労して手に入れた豚のバークシャー種はとりあえず“工場(家畜の企業的大規模飼育)”向きのタイプではない。中ヨークシャーとともにどちらかといえば手間ひまかかる、生活臭(今となっては!)のする、もしかしたら滅びる品種である。粗飼料(残飯)にそれなりに適応する彼らは短期即決効率優先の工場環境についてゆけない。ついでに言えば、畑の作物もすでに“工場”向きの種しか入手できないものが多くなった。そうした工場的なもの(社会)がもたらす利便にさんざん取り換えっこされた自由(尊厳とも言い換えてみたい)をコーゲキ的に保全し取り返していくスタイル(のひとつ)が自給的な暮らしであると位置づけてみる。バークシャーは私たちそのものである。

 よく高度成長期前期(昭和30年ころ)のくらしのスタイルが良きものとして取りざたされる。個人的には“もどる”ことに躊躇する(懐古を疑う)が、歴史認識は大事にしなくてはと思う。古きよき時代の“よきもの”が次の時代の“糧”へと調理されてきてるはずだからだ。時間の旅は面白い。
 それにしても、政治や経済に私たちの食べるものが左右され手が届きにくいものになり、食卓が諦観に支配される事態なんてまっぴらごめんだ。それは私たちに必要な政治や経済ではない。
 食欲を開花させよう。
 お財布(政治・経済)を振り回してご馳走にありついた、ではなく、自前の材料とアイデアを用いたスペシャルなご馳走を断固毎日食べよう。
 きっとそれは世界の多くの人々の強い願望でもあるはずだ。

「農的くらしのレッスン050611・豚講座」での配付資料


050621 夏至

 晴れが続きすぎて畑がカラカラ。もう2週間以上本格的な雨がない。ジャガイモは元気(畝巾をケチったら土寄せがうまくできない)。遅い雪どけを心配し冷害対策とばかりにイモ・マメ類で畑を埋めたら、この天気続きは夏そのものだ。先はわからないけれど。
 ついに夏至になってしまった。5月はじめに雪がなくなったと思ったのに1ヶ月あまりしたらもう夏至なのだ。7月には暑いステキな日がいっぱいあるだろうか...。8月には夜は冷え冷えとしてくる。9月にはまたストーブが登場するだろう。放牧場に十分に草があって山羊が飛び回れるのはせいぜいこの5ヶ月間だ。
 北国は年の半分が冬と思ってたら、実はもっと長いのだね。手元に田島征三さんのブロッコリィの絵がある。土からびゅんと飛び出すその勢いは、北国ならではの雪どけ時の草木の雰囲気。ぱっと咲いてぱっと散る、そんな気質がこのあたりに少しはあるだろうか。いや、気質は冬につくられるのか...。
 この時期、南フランスの田舎にチーズをこしらえている農家を訪ねたことがある。もっぱらチーズ作りは奥さん。ダンナはほとんど牧草畑にいて乾草をめちゃくちゃ作っていた。そう、夏は冬のためにある。このサイクルを身近なところから手放すわけにいかない、と考える。なんでも売っている。買えば簡単だし時にはそうする。お店にオカネといっしょに創意工夫の快楽をほうり投げてさえくればよいのだからね。
 スーパー・マーケットの入り口には拳銃を構えた警備員が立っている。「ホールド・アップ!、抵抗は無駄さ、なんでもかんでもカートに押し込んでさっさとカネ払って帰りな。」って。


050618 立っちゃえ

 コンサートに行って、座ってるよっか立って聴いたほうが演奏者が発する情報?をいっぱい受け止めることができそうな気がしていいなと時々思っていた。お行儀の良いクラシックの会場ではなかなかそうはいかないけれど、ライブハウスで立つのは簡単だ。別に踊ろうってわけじゃなくても。座ってると首から上で聴いてる感じ。立つと身体ぜんぶがアンテナになったような気がする。
 ギター弾きやバイオリン弾きが立って演奏するように、たとえばピアニストも時々立ちたくならないだろうか。鍵盤は演奏者が座ることを要求する高さだ。ピアノは生まれたときからずぅーっとああなのかな。
 たいがい座るといえばくつろぐことと同義だ(とつい思ってしまう)。くつろぐ程度やシチュエーションによっていろんな形態の研究開発がある。そこからやや離れて、ピアニストもそうだけれどモノ書きとか...労働のための椅子を必要とする職能がある。彼らもぼくも「その椅子」に座って働く。つまり身体のありようもそれに対応する椅子の形態もどっちからのアプローチであっても多様なバリエーションが存在するということだ。今日その研究に欠陥があるとすれば、椅子のバリエーションが商品としてのそれに特化し身体性あるいは個の多様性などというものを置き去りにしてきたということだろうか。こういう椅子に座ればこうこうしなければいけないルールに私たちはとらわれがちだ。逆に、こうしたいからこういう椅子を必要とする、ということも。
 よし、立っちゃえ、ってことで突然仕事場の机を高くしてしまった。
 はじめ110センチで使ってみたら、ぼくの身長(168センチ)では高すぎる。それに合わせたハイ・スツールを使うときには“よじ登る”感じで、なんか気持ちはバー・カウンターに向かってる、酒だ。いかん。次に105センチにしてみた。靴を脱ぐと(最近暑い)まだ高い。100センチでいまは落ち着いている。座りたくなったらスツールがある。これはイイものがほしいけれどとりあえずの間に合わせモノ。
 これはなかなかイケル、と思える。すでに鉛筆で精緻な図面を描くことは少ない。キイボードとマウスでの作業が“その延長ではない”感じがしてくる。おもしろい。


050606 歌わずにいられない

 小麦(左)とライ麦の芽が出てめでたい気分でレイトショーに行った。「フェスティバル・エクスプレス」。ウッドストックのノリで?行われたカナダ・ツアー('70)の様子がドキュメントされる。亡き人に焦点を合わせたか、ジャニス、ジェリー・ガルシアに時間を割いている。どっちともその立場(エンタテイナー)の自覚はあったろうに、表現の前面に押し出されるのは、演らずにいられない無垢の魂だった。ジェリー・ガルシアが柔和な顔のまま「会ったときから好きだったよ」ってジャニスに言うと「あらそうだったの?」って答えがマジ返される。なにをすればいいのか、なんてもんじゃない。それをするしかなかった「ミイ・アンド・ボビー・マッギィ」そのものがいたということだ。


050604 山羊のルーシー

 早朝のデスクワークを数日返上して種まき。花〜パンジー、金魚草など少々。あとはムギ(大滝産ハルヨコイ、同ライムギ=スイス原産短棹タイプ)、ハナマメ(浦河産)、持てあましバレイショ。いずれも少々。ひと朝三畳くらいしかできない。去年の「ブースカ」開墾地。ところどころ粘土っぽくまだウンチくさいところも。だがその固い粘土に太いミミズがささってる。ヤルなぁ。そこに落ち葉をすき込んでから種をまく。デキルか?
 2週間前に植えたバレイショが芽吹いた。タネ用としてもらったんじゃなかったから心配だった。とりあえずめでたし。芽が出るとホントにうれしい。つまりそういう季節になった。山羊も原っぱに出てうれしそうにしている。
 山羊といえば、詩人・秋山清は1930年代に東京目白で「山羊を飼い、山羊の乳をかすかに売って生計していた」らしい(「昼夜なく」秋山清著/筑摩書房1986年刊)。都心でだぜ。なかでも自慢の山羊はルーシーという名で、それは“アナルシー”が所以なんだってさ。負けそうだ。
 なつかしの目白。ぼくが住んだのは1970年代。山手線と西武線が横を走るボクシングジムの二階。ただでさえ揺れるのに階下で練習がはじまるとゴンゴンともっと揺れた。
 1930年代の揺れ方を「今日においても明るい風景のごとく思われる」と秋山清はのちに書く。きっとそれは過去を美化する思いなどではない。当時の彼が、彼自身のまなざしの中に目にしみるような“明るい風景”をすでに所有していたということなのだ。