Usso800_0507

雑記帳

050719 孔雀蝶

 刺草にびっしり付いた黒い毛虫を取り除き(毛虫は畑の野菜のテキだと思ってるので目くじら立てるのだ、が、無知はマズイ...)、気まぐれに容器に入れたらすぐサナギになって、10日ほどで枯れ葉の中から立派な蝶が登場した。きっと孔雀蝶。
 散歩の果ての遅い時刻に寄りたい店はそうざらにはない。今夜はヤキトリと行きましょうと目に付いたのれんをくぐった。雰囲気は、ま、こんなもんでしょう。勤め帰りの人たちで適当に繁盛していて、テキトーな料理が出てくる。テレビが何かをがなり立てている。カウンターのオニイさん「自爆テロってすごいよな。」隣のオネエさん「教育されちゃってるんだよ!」。わわっ...。
 閉め切りの窓を開けて網戸を付けたとたんに札幌は涼しくなってしまった。東京は暑くて国会の中もナントカと名付けた軽い服装がまかり通っているらしい。どこかのテレビでちらっと見かけてたらゲゲゲゲだった。一応スーツは着て来ました。で、ネクタイを取りボタンを一個はずして、それでーも暑ければ上着を脱ぎました、であって、まさしくそこはヤキトリ屋の小上がりだったのだ。
 “美”も“知”もいつも崖っぷちに立っている。


050711 介護

 出先の駐車場に停めようとしたとたんにローバーがプッツンしかけた。
 半年前、ちょうど冬の入り口に高齢化したパンダの先行きが心配になり、ディーラーに交代要員の候補を探しに行ったときにレンジローバーにつかまった。...というか、もうこれしか乗るクルマがないなぁという気分で、そいつがそこで待ちかまえていた。二代目デザインではなく初代でなくてはいけなかったし。だから初代であるがゆえにまだまだ走るといっても高齢者であるのだった。まぁなにやってんだか、若返りをはかるべきだったのに。しかして介護老人を二人かかえることに...。
 パンダ4×4は二台目。つきあいは10年以上。日本では多少マニアの選択らしいが本国イタリアでは“安い・良く走る”どこにでもあるクルマ。でもガイシャは壊れる。パンダも電気系統などがダメだよという評判で、「困るでしょ?」とよく言われた。が、ラッキー?なことにぼくのはアタリだった、と思える。し、ま、パンダに惚れたンだね。1979年ジウジアーロ作。現代のシトロエン2CVだといわれた。トンネル山への雪道を2CVは登れないから必然としてパンダ4×4の選択とあいなった。
 パリ郊外の高速道路をレンタカーですいすい走っていたら、赤ちゃんを乗せたオネエサンのパンダにびゅんと追い抜かれてびっくりしたことがある。こっちが140キロくらいだったから...、パンダのメーターが振り切れてるじゃないか!そんなふうなクルマでもある。
 1999年に輸入が止まった(安全基準に合わなくなった)ことを知って困った。すでに乗りたいと思えるクルマの候補がないのだ。その後“ニュー”パンダが出た、が、ナンダコレハ...であった。同じフィアットから怪物クンみたいな顔したムルティプラが出て食指が一瞬そそられたが、4×4を待ってるうちに普通の顔にモデルチェンジされてしまった。
 誰かが大仰に言うように「自動車の時代は終わった」のかもしれない。相変わらず次々に新車が世に出てくる。そこそこ美男美女ではあるかもしれないが、それでいったいどーなんだよー、である。
 ローバーは通りかかった見知らぬオジサンのアドバイスでとりあえず動き出し、そのまま入院先へとよたよた走った。「GMに乗ってたんだけどプッツンするんだよねー。」とうれしそうにそのオジサン。「おい、ここは老人ホームじゃないんだからな。」とローバーに言い置いて息子の運転するパンダで帰った。


050709 トンネル山

 大通り公園のビヤガーデンの騒ぎ(なんであんなに騒ぐか?)がやって来ると、とたんに寒くなって雨がちになる。今まであんなに晴れて暑かったのに(今年の6月の雨の日は去年の半分くらいだった)。
 実り出した畑にいる至福の時間。これを横取りするやつがいるから戦いがなくならない。食べられることが即食べられないことに連鎖してしまうことへの抵抗勢力を自分のなかに育てよう。自給の庭は世界につながっている。


050707 ダンさんの死

 ごりっとしたものがどんどんなくなる。長新太、奥崎謙三(ゆきゆきて...)...。ついにダンさん・永島慎二が逝ってしまった。すごい人だったなぁ。COMやガロなど連載がつまった段ボール箱は参加した八郷農場の建設期のどたばたで失せた。よくその在りかの夢を見たっけ。