Usso800_0509

雑記帳

050918 伊藤哲哉と雨

 役者の伊藤哲哉が小雨のなか物語る「かえるの平家ものがたり」。おっきなかえるが畑でとんだ。


050917 ことば

 原マスミさん、お久しぶり。那覇のCD屋でばったり会った5年前以来かぁ。ばったり、はその前にもあって、ボロフスキーを上野の美術館でみていたとき。そう、またどこか、こんどはリスボンとかで会えるといいな、などと思う。
 この人のことばや音は冗舌。いろんな色やタッチで塗りかさねられる。それがおやっと思えるいま数少ないひと。原さんが歌うバーの窓の外は雨の街角で、すこしずつ人がうごく。ノルシュテインの「話の話」の、電信柱でゆれる街灯に照らされるゆれる街区を思い出す。いや、ゆれていたのはその光があたった人々だったか。あれは確か雪。...煙草に煙るバーのなか、最近こういったくつろぎ空間?が苦手になってきていることを感じる。良い店なのに。でもだれかと話はしたい。(下のイラストは原さんのサインがわりのボールペン画)

 話はかわるが、先週末にやきもの作家・松原成樹さんの「枕」を並べた個展会場で、見てたらむくむくとことばが起き上がる気がした。この人はことばを引き出すようなものをこしらえる。その枕は水を印象づけるもので、気になっている。ねむれないぞぉ。


050913 3/45

 選挙報のラジオを聞きながら友人と飲んでいたら火にかけたジャムを炭にしてしまった。大事な今年最後のエビガライチゴ。トホホの鍋洗い。ま、どーしようもない進行状況なのでしょう(←選挙)。嘆くだけのことをしてないけど。
 数回映画館に足を運んでみたらもう見るものがない。数えたら45本が今かかっていて、見たのが3本。いくらヒマがあっても見たいものはもうない。まー、政治もこんなものなのかもしれない。二大政党なんてものはダメ。政党は多様化をきちんとし連立でイニシアティブをとるというのが基本と考える。一見わかりよい勝ち組・負け組なんて発想もイケナイ。3/45は少数派で負けているという見方もできるが、多数派?にはない価値を備えていて十二分に存在理由がある。正負二分の単純バカアタマを乗り越え、多様さの海を泳ごう。


050905 役者

 旅の役者がしばらく逗留するという。彼に似たトマト!を飾ったバカモンがいる。お天気がよかったせいか畑のトマトがどんどんとれる。料理人は煮たり乾かしたりと忙しい。トマトひとつひとつが違う。ひとりひとり違うというところから社会をはじめなくてはならない、とキンゼイは言った(映画の中でだ)。慣習や宗教や政治でまとめられたものと、科学するというこれも微妙な入口出口のあるもののあいだにある緊張感。
...そうだ、口に入るものもまた不可思議な先入観に彩られていて、そこからの自由というのもアブナイし面白い。
ウエブサイト“Science of Cooking”
http://www.exploratorium.edu/cooking/index.html
によれば、アメリカの名称の権化たるアメリゴ・ヴェスプッチは漬物屋で、彼のビタミンたっぷりピクルスが大航海に貢献した結果なんだそうだ。


050904 エビガライチゴ

 誕生日を迎えた方がおりましたのでケーキ。宝石のような、というのは猫に小判状態の私にはイチゴになんと失礼なっ。イチゴのような宝石といったら許してやるにゃー。そういうタイミングだったんでしょうか、自然にするすると大きくなって、ゴエモン(ボルゾイ)の毛が実に巻き付くので少しタナを作って上にまとめたらたくさんなります。お砂糖で煮てレモンとブランディー少々で仕上げると極楽ジャムに。果物にアタる(アレルギー、とくにバラ科、サントモールのマルシェのサクランボはすんごかった)ようになってもっぱら煮る。今年は桑の実を取りそこね大関ジャムができなかったな。思い出した、庭の洋梨の木を切ったバカモン(原因を作ったのはこのオレだぁ)!あの横綱プリザーブをもういっぺん食いたし。


050904 Life is a miracle

 一週間後の投票を控えた総選挙で自民優位とメディアが伝え、そうかもなぁと妙に納得。政治はマツリゴトという表層だけで転がっていて誰も止められない(ような印象ばかり伝えられる)。沖縄県政が自民主導に交代した(1980年前後)ときの選挙から、なんかマズイ、ターニング・ポイントだと思っていた。理想、理念が語られない、力を持たない。自民でないものは反自民であると括られ、したがって自民あっての存在という壁がそこに立ち上がり、多様なものであるはずの「でないもの」が越えられない。沖縄のときは巧妙なマーケッティングが力を持ったかなと思ったが、現時点ではそれが進化したというよりも逆の印象を強く持つ。貧すれば鈍する、みたいな格言を持ち出すのは好きじゃないけれど、貧しい政治状況が進行している。
 しかし世の中は政治だけでできていない。映画「Life is a miracle/邦題;ライフ・イズ・ミラクル」では、ボスニア紛争に巻き込まれた旧ユーゴのにーちゃん(市民)が「こんなもん俺たちの戦争じゃない。」って言う。
 “マス”が力を持つのは当然だ。だが“マス”は部分でもある。それだけに支配されない総合性を私たちは持っている。執拗にしたたかにそれを育てることが私たちの大事な仕事だ。
 いろんなことが伝えられる。たくさん伝えられる。まるで展望台にいるかのように世の中を見る気分を接種され続けていったいなにがわかったというのか?
 じゃ、じぶんの立脚点で、肉眼でと思い直したら、れれ、老眼がすすんでる!