Usso800_0510

雑記帳

051028 庭協会1

 雪が近いので、菜園の片づけをしていたら、“庭協会”の理事長のOさんがやってきて、そろそろ今年の“庭賞”を決める時期だから選定をしようと言う。ストーブに薪をくべ、土産の酒を飲みながら、あーでもないこーでもない、がはじまった。

 わたしがデレク・ジャーマンの庭がイインデナイカイと言うと、彼女は、死んでしまった人の顕彰は止したいノダとのたまう。確かに。それに今更協会が賞をあげてもデレク・ジャーマンに何か箔が付くわけではないわけで。
 それじゃ米軍が引き上げたイラクのバクダン跡のくぼ地にせっせと畑をこしらえる活動をしている○○会を候補にしよう、どうしているかちょっと電話で確認してみっか、とやってみるが「電波が届かない...電源が入っていない...。」のアナウンスが入るばかりでつながらなかった。くだんの○○代表は電話をほうったらかしにしたまま昼寝でもしているのだろうか。今年の副賞が山羊だと知ったら飛び上がって喜ぶだろうに。

 そういえば日本にやってきたクルド人のほかの子どもたちはみなどうしているだろう。筑波山のふもとにある農場が大勢の受け入れをして、そこの若いおかみさんが「毎日学校で寝起きしているみたいでチョー面白い。」なんて言ってたっけ。あんなに傷だらけの子どもたちを身内にしてしまってタイヘンだろうに。そうだな、ここも今年の“庭賞”だな。

 結局のところ候補が多すぎ、協会の実力が問題だなぁと話題が曲がりはじめ、そのうち二人とも酩酊して賞の絞り込みは宿題となった。
 獣医であるOさんは二人の養子と三人家族をやっている。去年、その筑波山の農場へ七面鳥の調子を見に行った帰りに、どうしてもとくっついてきたクルドの女の子たち。そのチビたちに心配されるからと月夜の道をふらふら帰っていった。

 さて、こっちも寝るかと寝室を一巡り。子どもたちが小さくなければ合宿所といった風情。まさかこれを家族と誰も呼ばないだろうし、自分でもそういうものからはずいぶん遠い集団のように意識せざるをえない。そっか、学校だってか...。宗教なのか?と問われれば、そういう頼りになるもんがあればまだましかなぁと思うんだが。
 みんな見事に寝相がよくない。しかし見事に天使である。それにしても毎晩わたしの寝床が彼らに占領されてしまうのには困惑する。寝るまでがよいしょっと一仕事ナノダ。

(フィクションです)


051027 戦争

 扉を開けばそこが戦場、という構造では今日すでにないだろう。
 こちらの身の回りが“戦地”でもあることを明快に際立たせていくしか戦いをやめる(やめさせる)手だてはないのではないか?と思える。
 それは戦地に関わる、ということにつながる。
 彼の戦地からは、限られた枠組みの中から「ここはこうである。」という情報が、きっととんでもない努力の末にちょっとずつ世界に発信される。
 非戦を唱えるというような客観的な振舞いも大事、でも、より具体的な行動が必要とされていることを最近痛感する。
 一方で、人助けはできないと思う。し、できやしない。
 でも、いっしょに生きることはできるかもしれない。きっと、ぼくたちが生きるってことは、“誰か”と生きるってことだものね。
 子どもたちの戦地からの緊急避難ができるのか、と考える。可能だろうか。
 映画「亀も空を飛ぶ(原題;Lakposhtha ham parvaz mikonand)」は「ここはこうである。」としか言わない、ように見せかけながら、「生」についての(いや、そこから始まる)新たな課題を投げかけてくる。答えなくては。

 ぼくが想起する自給の“庭”は彼らのためにも開かれなければならないだろう。