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雑記帳

051130 庭協会2

 例年よりも冬の始まりが遅くキリギリスには好都合の毎日だった。まだ積もらない、まだ凍らない、で、いつもなら先延ばしして間に合わなくなってしまう冬支度がある程度進んだ。それでも積み残した作業がいくつかあって、今朝からの雨が小降りになった遅い午後、畑に残したわずかのジャガイモを掘ることにした。この季節の雨の日はあたたかい。油断大敵。ラジオの天気予報ではこのあと急速に冷えて嵐になり雪も30センチ一気に積もるとか言っている。マジか。

 チビたちを誘い外に出た。強い風が吹きはじめている。帽子が飛んじゃう、畑に行くぬかるんだ坂道でころんで泥んこ、その程度はまだ余裕の遊びって雰囲気。たくましくなったと思う。半年前にはピーピー泣いてばかりいたのだから。
 畑を堀っくりかえしているうちに夕やみが迫ってきた。おっきなイモしか見えないぞ。まぁいいか、来春土の中から見つけたらご馳走かもしれないし。ネコ車一杯ほどのジャガイモの収穫。小雨がみぞれに変わりはじめ、一瞬過去に見た映画の一シーン、北ヨーロッパの田舎が頭をよぎる。土のしみるような冷たさが手袋を伝ってきてそれどころじゃないのだが、このおもちゃ箱をひっくり返したような子どもたちの姿があるからだろうか、気持ちを平らに平らにという力がどこからか作用しているような不思議な気がする。ついでに室内で越冬させようと思ってるローズマリーを鉢に入れ、外遊びに飽いたチビたちと部屋にもどった。

 せっかくだから食べてみようね。と、ストーブに薪をくべながらその横で芋の皮むき。この芋は春に近所の自然食品店で売るには日が経ったからともらったのを種にした。家畜にでもあげてくださいって言われたが、持ち帰ってみたらまだだいじょうぶ。三分の一人間が食べ、三分の一豚にあげ、残りを植えた。品種不明。“花標津(ハナシベツ)”かなと思うが。植えたのは去年豚を飼ってた場所。窒素過多がちょっと心配だった。
 豚は毎年春に一頭だけ農家にわけてもらい冬の始めに肉にする。飼う場所を畑横の開墾地とし簡単な柵で移動しながら“豚耕”してもらうのだ。豚は鼻で強力に土を掘り返し草や木の根を食べウンチをいっぱいたれて次の年に荒地は畑に変化(へんげ)する。このウンチだけでは作物の栄養バランスに欠けるのだ。もっと落ち葉堆肥みたいなものを入れなくちゃならないのだろう。この場所に植えた芋も豆もものすごい勢いで繁った。しかし収穫は期待ほどではなかった。

 あれぇ!と歓声があがる。これはお芋じゃなく石ころじゃん!はっはー、夕やみで間違ったんだね!あの畑、石ころだらけだから...。窓の外に目をやるとしんしんと雪が降り出している。静かなわけだ。そしてぐんと冷え込んできた。
 ストーブのまわりのおとぎ話のような世界。けれどいろんな心配が頭をよぎる。なんか口に出そうになる。しかししかし、そんなのもよかろうってことにしなくっちゃ。お芋早く煮えるといいねー、おじさんはテキーラでも飲むか。

 いまチビたちの居場所になっている“やぎや”は小さなレストランである。もともとはわたしたち家族の住居。自分たちのこどもが大きくなり、二人きりでごはんというのもなんだなーということで数年前にパートナーがはじめたのだ。家庭菜園というにはちょっと広めという程度の畑でとれる野菜や少しずつ飼っている家畜(豚、山羊、ひつじ、鶏、兎...)の乳や肉の保存加工品がメニューの基本、街外れという場所柄か知った人がぽつぽつとやって来るという程度のものである。毎日こんなものを食べたいなってことがメニューになっているわけなんだが、お客にはそれなりに面白がってもらえているようだ。
 いまやチビたちはその重要な働き手である。いや、お店に立つというのではないけれど、家畜にごはんをあげたり食材の下ごしらえをするなど、遊びなんだか仕事なんだか互いに判然としないまま、わいわいきゃっきゃっとやっているわけである。このあいだ飼ってた豚を屠場に見送った朝はちょっと悲しそうな表情だった。でも夕方もどってきた肉でソーセージをつくるときには興奮の極みだった。もちろんできたそこからぱくぱく食べちゃうわけで...。

 わたしの期待を含めた実感は、家庭というものがもしあるとすれば、それは二人以上が食べて寝る場所であって、その構成員は恣意的でよく、しかも関係が面白いという要素が付加されれば、しばし社会的に力を持ちうるというものである。そして順番から言えば、まずはじめに家庭ありきではない。なくてよい。家庭はできちゃうものである。そしていずれ誰かが作り変える。家庭、イエのニワ。庭協会の関心はそういった手短なところからの社会の開拓といったおもむきが強くある。
 この7人のシンデレラの小人みたいなチビちゃんたちとの暮らしは、愉快というには直接には彼らに失礼である。行き掛かり上そうなった、に近い。その場面に彼らの選択肢はない。戦地ではありようがなかった。だいじょうぶまかせておけ、と言いたいが、自信がない。ないなりにやっていくのも人生だろうか。
 酔っぱらったおじさんと、ベーコンとお芋とでお腹一杯なったらしいチビたちと、さてどっちがお行儀良く寝るか競走である。

(フィクションです)


051111 ポチ

 いつもより10日以上も遅れて雪。その直前、なかなか降らないのを良いことにして一瞬の工作時間。去年9月の風速50メートルで倒れていたタモの木をえいやこら山から引きずり下ろしてベンチに。丘をごろごろ転がしてる最中下敷きになりそうで怖かった。ひとつこしらえたらもうひとつ。でさらにもうひとつ。おー、まずいまずいチョーシに乗るんじゃねーぞぉ。三つ目が気に入ったので、しばし中断。雪にもなったし。で、これをバクハツとは言えない。とてもガーデンの作物には及ばないぞ。
 ベンチとはお尻で付き合う。今回の気に入った三つ目を“ポチ”と呼んでみる。愛犬ポチ。
 そういえばぼくは木工をなりわいにしかけたことがあった。でもあんまりケガをするもんだからほとんど向いていないということにして機械も道具も放り出してあった。ものをこしらえてる時ってのはいろいろ妄想が渦巻く。妄想に捕まっちゃうとケガになるようである。だからまずなりわいっていう不純な動機を控えることと、それに捕まってもケガをしないように大掛かりな機械の使用を自分に禁止したのだった。いやはやポチ。
 思い出した、椅子ばかりを並べる展覧会(10年前!)に誘ってもらったときに書いた一文。若かったのかも。
 “椅子はいつもおしりの下。それが奴隷というのではつまらない。ともだちにする。下半身でつきあうんだからちょっとあぶない関係。でもイロっぽいほうがよい。それだけじゃもちろんないけれど、お互いに。できることなら、それは「タケコプター」みたいなもんならなおさらよい。”
 この時に出展した椅子のひとつは背が使い古しの草刈り大鎌とフォークでできていて、さる映画監督の自宅玄関で相変わらずイバっているようである。

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051111 バクハツ

 ゲージュツはバクハツだと言った人がいるけれど、ガーデンにおいてもバクハツはある。種を土に埋め、たいしたお世話もしなかったのにさ、なんだこの生き物の世界は。
 その傍らにいて、それを愉快だからやってんだ、という言説はおおいに誤解されるが、なんともそれ以上は説明しがたい。パートナーがマメ畑で片づけをしている。山羊に囲まれながら。ぼくはその近くで薪にする木を運んでいる。しりもちつきながら。それはそれでノーテンキな構図ではある。なぜそうするか、そうしたいか、わかるか?!

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