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雑記帳

051226 庭協会4

 用事で出かけた東京からの帰り道。羽田へ向かう途中でなにかおみやげにと、さる高級!デパートの食品売り場に寄った。どんなものでもわんさかあるぞーみたいな中にイタリアのパン専門店というのがあった。イタリア全土のパンを揃えましたって。北から南まで数十種。いやーたまげた。イタリア人が見たら腰抜かすかな。でも、日本人ってこんなもんか、かな。イタリア本土にはあるだろうか?こんな店。諸国名品物産展も日本国内だけじゃやっていけなくなったか、でもここまでヤルか...。

 お上りさんのわたしはずいぶん前にイタリアで食べたちょっとパサついた感じのパン(セモリナ粉入りだってここで知った)がなつかしくて、気がとがめるのに買ってしまったんだが、レジでお金を払いふと売り場を見渡せば、とにかく、そのフロアじたいがヨーロッパの地図なのであった。すたこら一巡りするうち棚からめっけもん(もちろん疑似的にだ)が発見されるというのがデパ地下ならではのしつらえなのだろう。例えば南仏のナントカ村の胡桃オイル。もうこれはきっと中味なんかにたいした価値はなくて、ラベルやおしゃれな瓶こそが大事なのだ。確かめようがないし(そんなヤボな)、それよりホンモノ“らしい”ってのがイイのよ。オイルは確かにそのオイルだっていう実体だけじゃなく、それが作られ手渡され食べる一連のプロセスも含めて総合的にそのオイルなんだろう、とタダシク考えるが、そんなものまで遠路はるばる運べるかってんだ。

 パリの西南、新幹線で1時間半ほどのトゥールという瀟洒な街。そこにはじめて行った時(99年チーズの制作現場見学)。散歩してたら小さなマルシェだ、チーズを生産者らしき人が売っている、あれぇ?この人のチーズのことどこかで見たなー、なのだった。日本で売られているフランス各地の分厚いチーズ解説書「チーズ図鑑」に登場しているFさん(圧搾しない羊チーズを作っている)じゃないか!いやはや。持参してた本をホテルに取りにかえってサインなんかせがんじゃって、遊びにおいでの約束をしてもらって...。

 おー、お客様お目が高い、これは現地で長ーいこと大事に食されているもので、日本で扱っているのは当店のみでございます。そうですそうですスロウ・フードの極め付けみたいな、ええロハスってとぉってもいいですよねぇ。お持ちになってぜひ床の間に。賞味期限?いやいやそんなもの、古いほどお値打ちが、どうです?いやぁ期限切れですねぇ...。



 朝ご飯にデパートの手提げ袋一杯のイタリア・パンがあっという間になくなった。ふにゃふにゃだもんね、たまにはイイね、であった。チビたちにはなつかしいクルドのラヴァシュ(薄くて大きい無発酵パン)にここで食べる普段のパンよっか似ているわけだ。ただ柔らかすぎて実質が伴わないというか...。いつものパンは固くて重いドイツの田舎パンみたいなものだから、はじめずいぶん抵抗があったらしいけれど、いまはそれがえらく気に入っちゃったらしい。現にこの柔らかいおみやげパンよりもいいよって(平らげたくせに)すぐ言う。そうだよなー、わたしも同感。もう他所で売ってるパンはほしくないもんなー。

 この“やぎや”のパンは自称“農奴”のRくんが焼いている。週に2回、10キロ近い粉(全粒紛)を毎回手でこね、レンガの窯に薪をくべて。それが自家用とお店用とでいつも不足気味だ。訪ねて来た知り合いが買っていったりすると(義理で買わなくてもよいと思っていたらほんとうにおいしいと言う)週3回のペースになる。こうなるといくらRくんが若いといっても手でこねるには体力的にとてもタイヘンらしい。電動の“こね機”がそろそろ必要なんだろうか。いや他にも課題はある。いま小麦粉は買っている。輸入のものは使わないが北海道産として業務用に出回っているものだ。それをなんとか自分たちの畑を中心に、せいぜい不足分とか別品種を知り合いの農家で作るという体制にしたいものだと思っている。やー、麦畑やろー!ってチビたちが言うが、まだ戦力になるには何年もかかる。でもそうできたらうんと面白い。
 なんでRくんが農奴かっていうと、彼はS農学校の実習畑の農場長で、長だけどぜんぜん偉くなくて、学生がいい加減にやったところや休みの間の管理を一手に引き受けていて、えらいこっちゃの毎日だからだ。もちろん短い夏のあいだだけのことなんだが。
 ちなみにこのパンの酵母はRくんの母親でもある“やぎや”の主が山羊乳からつくったものだ。これも人気の素かもしれない。酵母によってそんなにパンの味は違わないような気がするが、その乳酵母ってやつは元気が取り柄ってことらしい。彼女のシェーブル(山羊チーズ)も大人気。ただ酵母は長くもつがチーズは出産の春を待たなくてはならない。冬はまだはじまったばかり。首がマフラーみたいに長ーくなるよねー。

 パリのパン屋は朝早いよなーって、いつもスロウ・スタートのRくんに皮肉っぽく言ったら、あれはああいうパンだからだよ、って切り返された。バゲットとかクロワッサン、ああいうパンは確かに焼き立てがおいしいかも。うーん、時々焼いてよって言うのに、なかなかリュクエストがかなわない。いつもの薪の窯でそういうのを焼いたら売れるって思うし、ときどき食べたいのに...、誰に似たんだか頑固なんだな。
 夕方焼き上がったパンは、冷めるのを待って乾かないようにひとつひとつ袋に入れる。おしゃれするつもりで染めた麻ひもで袋の口を結び、“やぎや”のシールをぺたんと貼り、大きな籠に入れたらお店の入り口近くの椅子に置いて(そこが売り場)おしまい。この部分はチビちゃんたちの出番。交代交代にやっていて上手にできる子もいるが、任せるにはまだ幼くて不十分なのをRくんがよくフォローしている。自家用にするちょっと不出来なパンは袋じゃなくて“デシケーター”にぼとんと入れられる。この大きなガラス容器は獣医のOさんにもらった。研究室などでは使い捨ての器具が大勢を占めるようになって、こんなもんは処分されてしまうらしい。きちんと蓋が閉まるし、見てて面白いし、いいもんだなーって思ってる。少し古いヨーロッパのキッチンにはキャビネットにパン専用の引き出しがあったっていう。あれじゃかちかちになっちゃっただろうな、と心配してみる。
 そうだ、わたしはこのパンはぜったい3日目以降(焼いてから)がおいしいと思う。少し焼きすぎ気味の香ばしいおせんべいみたいな外皮(これをおいしいって言う人もいるが、わたしはさんざんこれで歯が折れた!)に全体の水分がまわってちょっとしっとり感が出たころ。薄く切って発酵バター(できれば山羊の)を塗ると、もうパンはこれだなって思う。焼いたんだから酵母はとうに生きてはいないはずなのに、日が経ったパンは熟成が進んだかのような印象がする。それがとっても不思議だ。

(フィクションです)

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051221 「煮ても焼いても食える・展」に寄せて

 どこか閉じこもることができる場所があったらラッキー!避難が必要だ。
 街へ出、いやテレビ、雑誌を目にするとたん、「ホールドアップ!さっさと買いな。」に囲まれる。買え買え買え買え買え買え買え買え買え買え...。いつまで!お?カエルだ。新種か?
 デパートの時代は終わった。世の中ぜんぶがデパートになった。私たちは買いつつ買われる、棚にきれいに並べられた商品になった。どうだぁ?お客さん。

 曲がって店頭に並ばないキュウリはどこへ行くのだろう?
 それが煮ても焼いても食えるということをわたしはかろうじて知っている(ちいさな声でしか言えないけど)。が、まっすぐそろったキュウリしか目にしない人たちは、どこかで選ばれたあとのそのまっすぐそろったキュウリ的世界を生きる。感知しにくい選択の上にそうっと置かれた分厚い布団のなかで王様を生きる。その制度化された選択・流通のプロセスに逆らい「ぜんぶ」に関わろうとする動きがあっても、どん欲な世界によって多少風変わりな(そして必要な)味付けであるかのように飲み込まれてしまうことを何度となく見聞きしてきた。
 この味付けは3倍辛いカレー、みたいにエスカレートしない。いま人々はすごーくおとなしくなった。なおもアバレる輩に対しては、味付けなんてもんじゃない、軍隊の登場とあいなった。アブナイ、消される!


051214 庭協会3

 目と鼻の先にある林の5本ばかりの倒木がずうっと気になっていた。風速50メートル超といわれた去年の台風の後片づけがなかなかできないのだ。
 あの台風はすごかった。大通りの街路樹がどんどん倒れたし、車が何台もひっくりかえった。ここから20分ほど山に入ったところには怪獣でも通り過ぎたかのようなぺちゃんこになった林が残っている。でも以外と建物はしぶとかった。築60年のよぼよぼの「やぎや」もぶるぶるいいながら耐えた。
 林の中の倒木を“荒れている”と見るのはきっと人間の勝手だ。自然の“錯乱”はそれをも飲み込んだある種の調和の中にある。しかしここは里だから、という理屈をつけ、蔓をはらい倒木の“整理”を試みる。ここでは暖房する
にもパンを焼くにも薪の確保が大前提になる。
 気になっていると言った倒木のあらかたは「たも」である。目通り60〜70センチはあろうか、立派にまっすぐ伸びた幹が見事にひっくりかえっているのだ、それも一様に東に頭を向けて。根が比較的浅いからだろうか、他を圧してすくっと伸びたばかりによけいに風の力を受けたのだろうか。中には幹の中ほどから折れているものもある。

 チェーンソーが小型なのは足場が不安定なこの斜面の作業に向いているが、太い幹を切っていくのには時間と体力がいる。幹の根に近いところではうっすら覆った氷が小石をくっつけていたりする。そこに間違ってチェーンソーの刃を当てると、とたんに切れなくなる。ひと休み。目立ての時間。切っている時はうっすら汗をかくくらいなのに、じっとしているとすーっと冷えてくる。
 空は晴れている。ここは北斜面なのでこの時期は一日中日が当たらない。向かい側の南斜面がまだ枯れ葉色のぬくもりを見せているのに、こちらは氷の世界だ。今年は雪が遅くてまだわずかしか積もっていない。そのわずかな雪の表面が凍っていて、切った木を滑り下ろす(落とす)のにはうってつけだ。人間もすべって転ぶんだけれど。
 短く切ったほうが下ろしやすい。長ければ途中の立ち木に引っ掛かる。でも切るのがたいへんなので、太いのは長さ1.5メートルというところか。切れたら方向を見定めながらごろんとやる。うまくいったら相当に下までころがってくれる。
 一年以上も倒れていたはずなのに切り口はおどろくほどみずみずしい。動物だったらすでに風化の時間だろうに。薪にする前に何か作ってみたいという気がしてくる。ベンチか器か...。このままじゃ割れが入るだろうけれどという危惧を横に押しやるようにいろいろなカタチが頭の中をチカチカし始める。

 チェーンソーのガソリンが切れて止まったとたんの静寂の中にふいに二人のチビが顔を出した。
 「あれれれ、LもKも危ないじゃないか。...いやいや悪かった。音が大きくてまわりのことがよくわからなかったんだ。」
 「おやつ?ふーん、ありがとう。いっしょに食べようか。」

 「むかし君らくらいだったとき、わたしのおじいちゃんもこの時期こんなふうに近所の山に入って木を切っていたんだ。君らのようにわたしもおやつを持たされておじいちゃんのところへ届けに行ったもんだ。」
 「おばあちゃんがストーブの上でお餅を焼いて、お砂糖を入れた醤油をつけてお弁当箱に入れてね。」
 「そりゃあいっしょに食べたさ!こんなふうに。おいしかったねー。」
 「おじいちゃんが自分の斧で脚を切っちゃったことがあってね、そこを手ぬぐいで縛ってよろよろ山から下りてきたことがあったっけ。あれは怖かった。」
 「きっと自分で治しちゃったんだろうね。なにかあってもお医者をあてにするっていうことがほんとうに少なかったんだよ。牛や馬を飼っていたから薬とか注射器とかがあってね、もしかしたらそういうものも使ったのかもしれないね。」 
 「今日は木を切るのはもう止そう。勉強を教えてくれるAさんが着く頃だろ?」
 「勉強が済んだら夕ご飯をAさんといっしょに食べよう。夕べ煮てた豚の頭が残っていただろう?あれでパイでも作るか。デザート?そうだなぁ、いっぱいいただいたリンゴがあるから、はちみつで甘く煮て...。」

 Aさんもわたしもふだんはいろんな人といっしょに“S農学校”なんてものをやっている。彼は一応校長先生。学生時代をこの地ですごした後ずーっと遠ざかったままだったが、今年この企画の実現のために東京からやってきた。当時は社会も大学も大いに揺れていて彼もずいぶんアバレたらしい。懐かしいなぁってよく口にしてたけれど、さすがにこのごろは言わなくなった。専門は生物学。研究室を名乗ってはいるがそれはS農学校の枠組みのためだけではない。そんな人たち、市井の研究室ネットワークによってこの学校は成り立っている。わたしには事務局でのいくつかの役目がある。庭協会のシゴトと掛け持ちだし(たいがいのS農学校の関係者がそうなのだが)学生よりもよほど課題・宿題が多くてたいへんだ。早く来年のカリキュラムを決めないといけないよな、とAさんにも言われているんだが、なかなか...。
 Aさんの講座「農的植物学入門」は難しい話のはずなのに受講生にえらく人気だ。これでひともうけできたら?!またアフリカに豆の調査に行きたいもんだなー、なんてお酒を飲むたびに言っているが、もしかしたら冗談ではないのかもしれない。
 ほかにやりたいことがいっぱいあるだろうに、とりあえずと彼もここの子どもたちの勉強を見てくれている。農学校と違ってこちらはボランティアである。担当は算数。でもじゃがいもだの青虫だのとしょっちゅう断線するのが子どもたちの歓声でわかる。

 あっという間の夕暮れ、そして年末がもうすぐそこ。私たちがやっていることは、お地蔵さんにすげ笠を被せて帰ってきてしまうおとぎ話のような気がしないでもない。このお地蔵さんたちが、そして私たちがこれからどこへ行くのか知らない。ただ、とにかくお地蔵さん的なものといっしょに在ること、それがいま大事だという気がしてならない。

(フィクションです)