060228 難民2
農場にいた30年前ころ、すり切れるほど聴いたレコードがあります。すり切れたのはほこりや砂だらけにすぐなってしまうような環境だったからでもあるけどね。
それは1974年にアーロ・ガスリーが出したレコードで、大きな草刈り鎌とのこぎりを持ち幼い息子の手を引いた本人の写真がジャケットになっています。当時農場のメンバーはだいたいそんな格好をしていたこともあって、このレコードやアーロという人に相当に親しみを持ったものでした。
その中に「Deportees」という曲があって、それは彼の父親ウッディ・ガスリーが1960年ころに作ったものですが(まだアーロがガキンチョのころ)、アーロは父親よりぶっきらぼうにじゃなく歌っています。
実は「Deportees」にはもう少し前に会っています。高校生のとき(1968年頃?)住んでいた田舎の小さな町のひとつだけある小さなレコード屋でジュディ・コリンズのレコードを気に入って買ったのですが(BOTH SIDES NOW)、彼女もこの曲を取り上げており、彼女らしくきれいきれいに歌っていました。
Good-bye to my Juan, good-bye Rosalita
Adios mis amigos, Jesus y Maris
You won't have a name when you ride the big air-plane
And all they will call you will be deportees.
さようなら私のホアン、さようならロザリタ....。
ウッディは国の勝手な都合によってそれまで住んでいた地域から強制的に国外退去させられる人々のことを歌にしたのですが、私にはそれがどこか遠い国の昔の話なんぞではなく、今なお自分の身の回りに起こりうる事態として受け止めたいと思う気持ちと重ねて聴いてしまいます。あるいはまた難民という枠組み、それといまの私とを分けへだてる垣根は高くないということです。
ホセの死を聞いてこんなことを思いました。
ホセが死んだ農場にはざらざらとした風が舞っているのかな。
※農場;たまごの会八郷農場
http://www1.odn.ne.jp/aef81200/tamago/
※アーロ・ガスリー;Arlo Guthrie
http://www.arlo.net/
※ウッディ・ガスリー;Woody Guthrie
http://www.woodyguthrie.org/
※ジュディ・コリンズ;Judy Collins
http://www.judycollins.com/
※ホセ;農場でペットのように飼われていた豚くんのこと。
※ブログ「やかまし村の小さくて大きな出来事日記」
http://d.hatena.ne.jp/tightropewalker/
に書き込んだコメントに少し手を入れたのが本文です。

060228 難民1
2006年2月○日。東京へ行かなくっちゃと早起き。家族のクルマで地下鉄駅まで送ってもらう。吹雪。緑色のパンダ(息子の愛車)がおっきなシロクマになってる。ノロノロ。
やっと間に合った!と飛び乗った電車はなかなか走り出さない。いつもなら30分余りの空港までが1時間半。なんだこれは遅刻だとあわてる。
空港駅に着いた電車から大勢走り出る。ぼくも。お?予約の便(第2便)はまだ飛んでいない。1便目は欠航したとのこと。2便目は遅れて飛ぶ予定と言っている。よかった間に合った。
チェックイン。待合室にいると「滑走路の除雪に時間が...」とかアナウンス。
2時間待って該当便「欠航」の宣告。あとの便が“飛ぶかもしれない”ので“空席待ち”のチケットが発行される。ぼくのは208番。
「このあと飛んだとしてわたしは乗れるの?」とチケットをくれた係員に聞くと「見通せません。」
「れれ、予約が何人かは調べればわかるはず。残り(空席待ち)何人が飛べるかはわかるはず。」
「いえ、予想できません。」
ははーん、この期に及んで予約の回線はつながったまま?。ぼくら(空席待ち)はその後回しというわけか...。
ロビーに人がたまっていく。子どもが泣く。オヤジが怒鳴る。中国からの団体観光客が床に車座になって盛り上がっている。カウンターに向かう行列がどんどん長くなっていく。前にほとんど進めないのになんで並ぶか?。
ふと、これは“難民の行列”ではないかと思いはじめる。起きていることに手も足も出ないのだもの。
ちいさい子どもを連れた女性が「お母さん、おしっこ」に面食らっている。行列をはずれたらえらいこっちゃ。前後の人がだいじょうぶ場所をとっておいてあげる、なんて言ってる。
何か聞こうとしても“行列の順番に”を言い渡される。いつになったら聞けるんだか...。
気の利いた!アナウンス。「くわしい運行状況や今後のことは電話○○番やサイト○○で調べてください。その方が早くわかります。」
「おいおい、ここで起こってることだろうが。」
しょうがないな...、息子に電話したら、こんなんじゃ今日は飛ばないよとのこと。ついでにWEBで翌日への予約入れ直しをしてもらって、出直しじゃと決めたのが夕方4時。結局そのあと2便だけ飛んだそうな。
帰りの電車もノロノロで、たどり着いた地下鉄駅(息子と彼のガールフレンドが映画に行くんだというのに出くわす〜この荒れた日にか!)からタクシーに乗ると「お客さんの方の坂道は登れないかも...。除雪が間に合っていないから。」「まあ、行けるところまで行って。」
翌朝まだ電車はノロノロだったが、うんと早く出かけたので間に合った(そして飛べた)。空港に500人泊まったとか。なにか食べようと思ったが売店にはお弁当がない。珈琲屋では珈琲が品切れだ。そしてあちこちゴミで汚れている。昨日“同士”になったおばちゃんとかが機内で会釈してくる。
なにかコトが起こらないと私たちは“そもそもが難民である”ことが自覚できない。神戸の地震も北陸の大雪も、9.11ももしかしたらそうだろうか。いや、それでも難しいのかもね。
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