Usso800_0603

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060308 E さんの話;困難な社会状況への対応

 「おもしろい人がやってくるからね、遊びにいらっしゃい。」とさそわれ、郊外の畑のまっただ中で絵本屋さんをしている K さんを訪ねた。いっしょの R 君はご飯の時間をはさむのでとたのまれた“やぎや”のパンを持参している。わたしたちとおなじように集まったのは10数人。そこで思いもよらず現代社会について考えるディスカッションということになった。

 “おもしろい人”の筆頭は久しぶりにアメリカから帰ってきた? O さんだった。彼は10年ほど前から日本のポップス界でスター扱いをされてきた人である。ニューヨークに拠点を移して8年とか。日本の怪しげなショー・ビジネス界と距離を置きたかったということだが、その辺は初対面のわたしは詳しく知らない。
 彼は世界のさまざまなところを歩き今回日本に来てというなかで、グローバル化が進行する社会にたいし感じていること学んだことなどを話しはじめた。そこにミュージシャンとかエンターテイナーなどという顔はなくて、なんていうんだろう、当たり前のニンゲンがそこに立っていたというわけだ。彼に引きずられるようにそれぞれの人が自分と社会を語った。

 下のメモは、その締めくくりにという形になった E さんの発言である。彼女は O さんといっしょにアメリカからやってきた。英語で話すのを O さんが訳し、わたしが記録したものである。

 その後2晩彼らはわたしたちのところに泊まることになり、その間断続的に続いた会話は刺激にあふれたものだった。
 イリッチが90年代最後に話したという「人々はひじょうに抽象的なシステムのなかにすっぽり入り込み、ほとんど希望が持てない状態に陥っている。」が別れ際の話題になり、まあ明るくはないですよねと言いながら彼らはアメリカへ帰って行った。

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■日本

 アクティビストの両親はあちこちをよく歩いた。わたしも歩く。
 日本にはじめて来た。アメリカにいるときよりも日本の経済面での強力さということを感じた。ただそれが“グローバルである”ことの情報が不足しているとも思った。アメリカの中では、その“国境のない経済”についての情報は行き渡っているが、自分たちの利益になっているせいか、あまり問題にされることがない。

 困難な社会状況に対して人々のとるべき対応は「わたしたちにできることは何?」ではなく「わたしたちは何をするか?、何をする気があるか?」(※)というものの方に可能性が求められる。前者は無力感の表明であり危うい。
 ※ The question is not "What can we do ?" but "What will you do ?" or "What are you willing to do ?"

■ザパティスタ

 メキシコ東南部シアパス州にオートノミー(自分たちで自分たちのことを決める)の人々がいる。彼ら先住民は政府の政策に対抗して立ち上がった。黙っていれば殺される。“死”よりも“恐れない”ことを選んだ。彼らは銃を持っている。“座して死を待つより戦って死ぬ”である。彼らは勇気と文化を持っている。自分たちのあり方について問い直す(考え直す)意思がある。
 その考え方はエミリアーノ・ザパタの影響力が大きい。
 土地はそこに手を入れ働く人のものだ。そこには希望がある。歌がある。楽しい雰囲気がある。彼らは正義・正しさのために、胸をはるために戦っている。

 彼らはメキシコ国家の教育を適用していない。拒否している。自前の教育を行っている。そこには反逆者(オートノミー)としての楽しい展開がある。そうでなければ彼らは言葉がふたつある教育を受けることになる。まずスペイン語と先住民語だ。それはメキシコシティへ行くとスペイン語と英語という組み合わせになるのだ。
 子供を野原に連れて行くといっぺんに数学と科学と言語を学ぶことができる。体育もあり文学も学ぶ。それはメキシコ国家の教育とぜんぜん違う。それは包括的な生活の技術である。国家の教育はどうやってビジネスマンになるかに終始する。それはひじょうに国家主義が強く、先住民という枠組みはない。
 “みんながいっしょに入れる世界”がザパティスタのめざすものだ。

 世界の大きさについて、上の方から見る立場からだといつもどこか何かが足りないと感じがちなのではないか。それを下から見ると、まず自分自身の大きさを基準として考えることになる。貨幣経済の高低の仕組みは世界中同じだ。アメリカにも日本にもそれを下から変えようとする人がいることに希望を持つ。

 ザパティスタに“仕方がない”はない。いつも“全部”を問い直そうとする。
 彼らは女性の権利についてよく話題にする。権利の大きい小さいではなく、互いにどうつながることができるかということを大事にする。その枠組み総体を根本から考えようとする。こういう指向は別な場面でもいつも登場する。
 このことはひょっとすると彼らの軍隊の成功につながっているかもしれない。
 また、北米自由貿易協定に対してまず立ち上がったのは女性たちだった。

 彼らは自分たちのこと以上に“他の地域はどうなっているのか?”をよく考える人たちでもある。
 ザパティスタの英語・スペイン語のウェブサイトがある。
 <http://www.ezln.org.mx/

 ザパティスタの軍隊にいる人はみなマスク(目出し帽)を被っている。何故か。そうする前には誰も見向きもしなかったのが、そうすることではじめて世の中の人々が彼らを見ることになったというわけだ。銃もそのように象徴という意味が大きいと思われる。銃を持つ前は意識的な人々の行き先は刑務所か墓場しかなかった。平和な中での武装蜂起とはぜんぜん違う。

 私は、“言葉”や“人数”そして“顔”の方が銃よりもはるかに強いという考えをザパティスタの人たちは持っていると思う。


060304 流行2

 久しぶりの山手線で立って外を眺めていたら「おい、やめろ」という罵声にコケそうになった。どこかのオヤジが通路にいる若い女性の頭を小突いている。「ケータイは禁止だろうが!」。三人ほどを小突いてオヤジは次の車両に行ってしまったんだが、見渡せば大勢が携帯とにらめっこの最中で、一様に不思議な表情でそのオヤジを見送っているのだった。
 東京にはいろんな人がいるなと思う。ちょっと前には、向かいの座席にすわって文庫本を読んでた若者が突然靴を脱ぎ靴下も脱いで座席からでれっと床に座って(座席を背にし)読書を続行した。となりの人はびっくりしたようではあったが、そのまま座っていた。こんな程度で驚いていては東京人をやってられないってことか。
 電車の中での奇行?としては女子高生が床に車座になっちゃうとか平気でお化粧スルとかがあってそれはオメデタイ流行(はやり)モノだったと思えるが、このオヤジにしても若者にしてもアブナイ?点数はかなり高そうである。

 やはり東京はスゴイかも...と思い出しながら帰路千歳空港で電車に乗ろうとしたら、その車両の座席の半分が荷物で埋まっているのだった(つまり二人席を一人が占拠してるってこと)。夜半の便でひどく混雑というほどでもないが、面食らっているわたしのような人が何人も「おおナンダこれは!」で通り過ぎ(苦笑いもアリ)次の車両に移って行く。座ってるそのずうずうしいヤツは寝てたり連れがいるとウソついたり、あげくふてぶてしくじゃまするなと言うかのようににらんだりする。荷物に同じタグを付けているところを見ると、どこぞ海外ツアーの同行者の帰路なのだろう。出先ではよほどよほど丁重にもてなされたのだろうか、このオヤジやオバサンたち。
 わたしはと言えば気弱そうなオバサンを選んで「失礼します」と荷物をどけてもらい座ったのだった。


060304 流行1

 このところの頻繁な東京往復は、以前住宅を設計したHさんの娘さんが飲食店を開く、ついては設計をと依頼してもらったのが主な事由。次世代からのシゴトはうれしい。当社のクロマクは「設計費が出るのか?」と東京での仕事について以前は聞いたが、最近は「飛行機代分くらいは出るのか?」と聞くようになった。そうだなー...。

 春の匂いがぶわんとするかと期待してたのに東京は連日の雨で肩透かし。屋敷林によって自然がまだ残っている世田谷の住宅街ではあるが、自然のチカラが確実に弱まって来ているような気がする。面積が減っているということよりも個々のチカラが。沈丁花の香りがチカラづくで鼻をぐいとひっぱる(牛の鼻管を思い出す)ようなことはもうあまりなくなった。ストリートの女子高生のナマアシばかりがなまなましいのはやはりすごくヘンだ。
 白いくちばしを付けたカラスが街をかっ歩している。Hさんの娘さんもそこまではしないものの、二年ほど前から花粉に捕まったらしい。健康の話をしながら近くの“セタガヤママ”でごはんを食べる。やさしいごはんを食べて二人とも優しい日本人になる。

 そうだ今夜は先週のテレビ取材の放映の日だが、北海道のローカル局のその番組は東京にいては見られない。取材は札幌での私たちのノーテンキな暮らしぶりを断片的に切り取っていくものだった。訪れた担当者が言うには最近流行っている“ロハス”の動向を取り上げる一環という位置づけだそうだ。対応が面倒だしゆとりもないのでメディアの取材はできるだけお断りして来たんだが、待てよ、この春からの講座(“農的くらしのレッスン”)の受講生募集というタイミングでもあるし、ま、いいかということになった。

 そもそもロハスをよく知らない。無理なくそれぞれの立場からそんなにジャンプすることなく環境保全とか持続可能な社会にそれなりに貢献する多様な動きだと聞けば、私たちに近い部分もありそうだがなんだかわからない。ロハスがどうあれ私たちはこういうことをしたいとぼそぼそしゃべったつもりだが、それがどういう映像になっただろう。 
 流行っているというロハスなるものを実践している人たちはどのような顔をした人たちなんだろうか。電車やカフェでたまたま隣り合ったり道ですれ違ったりする人たちが“そう”してるんだろうか?
 “総評論家”の時代ということなんだろうか、などと考えてみる。こういう動きがある、ああいった主張がある、ということの主体者になるのでなく(なることを避けて)、自分が好ましいと感じる部分になんとなくひっかかっている状態がキモチ良い、あれやこれやと値踏みはしたいしそういう技量はオシャレの要件だと思うので身に付ける努力くらいはするが、自分からカラダを動かすことはリスクが多すぎていやだなと思う...んだろうか。いやそれは思い過ごしだ、単なる消費傾向ってことなんだろうな...。それにしても音楽家のS大先生まで高層住宅のお先棒かつぎに“ロハス”だなんて吹聴したりして...、ま、だからそんなもんなんだ。

 このあいだから講座の実習で「レーキ」を作りはじめた。山に入ってレーキ向きのかたちの木をさがし削ったり部品を作り組み合わせて完成させる予定だ。レーキは畑ではよく使われる道具だ。土を均したり落ち葉を集めたり。内地では伝統的な竹製のものを誰でも知っている。それは札幌でもホームセンターに並んでいたが最近は鉄線を曲げて作ったわけわからんものに主力がかわった。竹製のものを産地から取り寄せることに苦労はないが、どうだ竹のない北国だから別なもので作ってみよう、イギリスの資料(ジョン・セイモアの一連の労作)もあるし、というわけだ。
 2月も終いの山は雪が固く締まっていてほとんど埋もれずに歩ける。夏ならば雑草や潅木などに阻まれて行けないところへずんずん行けて面白かった。受講生の人たちはレーキの柄に使える素直な形の木を見つけるのに少し苦労したようだが、思いがけずの散歩をも楽しめたのはきっとよかった。

 レーキはカラダで使う道具だ。スイッチを押してどうのというものじゃない。まるでスポーツのように(そういう括りはキライなんだが)道具とカラダの一体感を楽しめる(ように制作せねばならない)はずのものだ。街の人がよく行くというジムのことはよく知らない。ジムに行くという動機とはずれるのかもしれないが、畑や草原(くさはら)でレーキをはじめとする手工具を振り回し汗をかく楽しみをなんとなく身に付けてしまった。最近見た映像(「人間は何を食べてきたか・麦編」、「アレクセイと泉」)では、大鎌を一振りするごとにすっすっと切り倒されて行く麦や牧草の人間を含めた姿全体が美しいなと思った。
 今さら手工具にこだわって生産を行い、それを主たる糧にして暮らして行くことは見通せないし、そうは考えない。しかし、だからといってそれを遊び(狭義の)と決めてしまうことには短絡があるばかりだ。
 きっと私たちはムカシとはちょっと違う作法で手工具やカラダを使うのだろうと思う。
 効用?それは完成後のお楽しみということで。