Usso800_0604

雑記帳目次へ

060424 庭協会7

番外編;“庭”に住むことを考える〜なぜ“庭協会”を描くのか?

 仕事柄住まいに関する話題に事欠かない。住まいを求める人がいて、それについての形を考案し提案するのがわたしの仕事だからだ。いろんな人がいていろんな形がある。あり得る。およそ住まいというからには、そこに入るのはたいがい家族というもので、そういう集団の入れ物をこしらえているとも言える。入れ物はそこに入る人々(=家族)の特性を反映させることになる。その特性はさまざまだし強弱もある。
 仕事上はその家族=集団の特性を検分することはあっても、さかのぼってナンデそうなのかということまでは余計なお世話だし、その部分に手を加えることはない。それはそっちでやってよ、という役割分担になる。
 ただ気になる。この人はこうしたい、は、じゃあ自分だったらこうするかな、と、比較しながらの思考〜検討になるし、住まう当事者とはそういう会話を普通に行う。それにしても対象物(建築)は相手の持ち物である。どっか覚めた目で折り合いのつけ所をさぐる必要がいつもある。折り合いはなかなかむずかしい。たいがいオカネ(予算)で結論めいたものを導き出したりするわけだが、どっか思考が中途で放棄されたように感じることも多い。しかし相手もこっちもいつまでもぐずぐずと「なんで?」を繰り返す時間的・経済的余裕に欠ける。“ま、いいか”の大英断は、あきらめではなく希望的に解釈せねばならない。

 さて、“自分だったら”をシゴト上は途中までしか言わないわけだから、もうちょっとこの場で考えてみたいということである。(シゴト・バージョンから離れる)

 住まう場所はほとんどの人が必要とするだろう。ほんとうに多様であってよいと思うが、たいがいそれは靴下やシャツよりもスケールがでかいし、その分目立つから、なんというか社会性ってものをより意識することになる。所有することを前提にすれば、良心的穏健的には「こういうものがあったほうがいいよね。」とでもいう多数への同意を求める形を考える。か、「かくあるべし。」とでもいうような、ある意味では無理やり押し付けをするような、社会にクサビを打ち込むようなカゲキ派もいていいだろう。
 だが、いま話題にしたいのは、その直接的な形というよりも、それを必要とする“居住単位”のありようとでもいうようなものだ。どういうメンバーで住まうのか?どう住みたいのか?

 だいたいそれは家族ということで事足りるだろうか。多様化しているといっても家族という考えの範疇になんとか入る単位が住まいを構成するんだろうか?

 数年前にじぶんの住まいを考える機会があった。
 その時まで住んだ建物が老朽化し、となりに新築を検討する際、共同住宅=コウハウジング(CoHousing)を立ち上げようとまず思った。まわりに豊かな自然がそれなりに広くあって、複数家族での利用の余地があった。コーポラティブ・ハウスのことは知っていたが、それよりも居住者の結びつきを要求するコウハウジングが面白いと思えた。前者の居住単位はあくまで1家族が原則である。後者は“コモン・ミール”と呼ばれる共同での食事を設定するなど“集合”の仕掛けがより強い。始めた人たちがヨーロッパのウイメンズ・リブの活動家たちだというのにも魅かれた。その出発点では“コレクティブ・ハウジング”と呼ばれたものがアメリカに伝播しコウハウジングとして今も増殖中である。日本でもまだわずかだがその事例を見るようにまでなった。共同での子育て、まとまりある隣人関係としての安心感、老後の相互扶助などをはじめとして新たな価値を持つ居住の仕掛けが可能なスタイルであろうと思われた。
 新たなということ、それは居住の単位を流動化させる、あるいは逆に流動化しはじめた居住単位を包括していく、そんな期待をも含んでいるような気がした。

 協力関係って麗しい。いろいろ考えていくうちに、その陰にある住まうことの内実に思い至ってないことに気がついた。住まいの中でおよそ皆なにをするのか?食べて寝て会社へ学校へ行って...、こどもを育ててヨイヨイになったら誰かに見守られて...、それはそれで言ってみればそんなもんで、だからといって、その時間・空間を優しく大事に過ごすことは当然の願望であることにきっと間違いはなく、いいよねー、そうだよねー、なのであるのだが...。その共同化?いっしょに何をするの?と想像するのは難しくはないのだが、じゃあ努力してそういうものをこしらえてそこに居るじぶんというものがさっぱり想像できなくなってきた。

 何かがそこに欠けている。
 もしかしてそれは“生産”ということかもしれないと思った。
 現代にあって生産というと、そのほとんどが住まいから切り離されて存在する。SOHOなんて極少なわけで、だから今やほとんどの住まいってのは“消費”の殿堂(ちょっとオーバーか)なのであった。それを集合化させてどうするんだ?というキモチがむくむくと沸き上がった。“賢い消費者連合=おしゃもじ連隊”をやろうってのか?と。
 ニンゲンどこで働こうがどこで寝ようが勝手だって言える。カイシャに通ってどこが悪い?そう、意識的に選択できいればハッピイ!しかし、だいたいがそうではない。わたしたちは“繋がれて”生きたくはない。できるだけ自由にと願う。
 共同・協力ということには大きくふたつの意図があるだろう。ひとつは既存の問題解決・解消。もうひとつは新たな目標へアクセスするためのパワーとしてだ。
 素敵に住まう、暮らすということは、その両方の課題を背負ってはつらつと過ごすということではないだろうか?

 だいたい遠回りしてるうちに死んでしまうのだ。
 まず住居集合というテーマはファイルに入れてしまった。捨てたんじゃない。その辺に漂わせておいて、誰かに声をかけるならば、まずはシゴトをやろうよって言うことにした。住まいに向かいながら、そこにたどり着かないで死んでしまったとしても、少しでも楽しい(したがって納得の行く)仕事(労働)を編み出すことがまずは先決で、その道筋で楽しい住まいが見つかったらめっけんもんだという気分である。車で走っていたら道が分かれたところに出くわしてハンドルを切ったというような気分。道はきっとどこかで繋がっている。

 わたしたちは死ぬまで働くべきである。
 “就職”とか“定年”とかという現代の仕組みはどうもおかしい。一斉に月曜日から働きはじめて一斉に週末を遊ぶ、だなんてなんかヘンだ。そしてそのことに立脚する社会(制度)というものは、まだまだわたしたちにとって不十分なものなのだという気がしてならない。わたしたちは安楽に住みたいのか?いや、一生を通じてわくわくと働きたいのではないのか?
 わたしたちは生まれて死ぬまで“現役”である。
 現役のイレモノ=住まいはきっとまだ誕生していない。新しい労働の形に連れ添われてそれは芽を出すのだろうと思う。

 “庭”に言及するのを忘れた。
 その一生の現役を人が過ごすにふさわしいフィールド、それに“庭”というイメージを抱いた。
 人が働き暮らす総合的な場所。それを探す、というよりも創造して行くことが今日の楽しくも重大な課題であると考える。



 んで、アンタじぶんのそのファイルに入れちゃったっていう住まいはどうなった?

 “屋根”や“箱”はこしらえた。いろんな人が制作に参加してくれてそれが住居かもと信じてた人もいたから途中のその方針変更は苦しかったし申し訳なかった。
 結果?んー、まだ完成形というのではないけれど、できあがったスペースはほとんど仕事場にと考えた。進行中の農学校の教室とかライブラリー、事務局、それから納屋・畜舎みたいな機能にもしている。
 住むところ?寝床はとりあえず一部屋確保した。食事は“やぎや”があるし、クルドのこどもたち(これフィクションですけど)も含めて、なんか仕事場に居候しているって感じだね。


060423 庭協会6

 “春の小川”とわたしたちが呼ぶ、川というには小さすぎるし、たった数日間だけのことなんだが、その雪どけのせせらぎが今年もやってきた。
 それはふいにやってくる。3月中旬にもなると雪の上をぬるい風が日差しとともに吹き渡る日が来る。寒暖が行ったり来たりしながらの4月半ばすぎ、お天気の良いある朝目覚めると“さわさわ”という水の流れる音がして、外へ出てみると玄関前の車だまりにいつもの小さな流れが出来ているというわけだ。

 ふいにといえば、田舎のおじが亡くなり葬儀へ出かけることになった。車で3時間。
 住宅の設計をさせてもらったのが7年前になる。半年前にガンで3ヶ月との宣告だったが、病院の対応が良かったせいか、その予定を越え、しかも静かな経過をたどることができたらしい。わたしは病院について参考意見を言った以外なにもお世話してあげられなかったのだが、付添いでくたびれ果てた顔の奥さんが「よい最後だったと思う、本当に。」と確認するかのように話されていたのがたいへん印象的だった。
 おじは戦後すぐから漁業関係の団体職員を長く務めた。このU町は北洋漁業の基地である。それで景気がうんと良かった時期は20年あったんだろうか?おじに港から見た町の歴史を聞いておくんだったと、お経のさ中に思った。大事な人もモノも失ってからそうと気がつくことの繰り返しだということをお坊さんは今さらのように戒める。あったりまえだ。
 やはりわたしに建築計画を依頼してくれたこの町の映画館主・Mさんは、「若い頃、繁盛してたころってのはね、海が荒れると町中が漁師であふれて飲んだり騒いだりですよ。そして映画館にもどっさり客が入って、入口でお金をもらうんだけれど入れ物の“ざる”がすぐお札でいっぱになって、ほかの入れ物に入れ直すヒマがなくってね、押入にどんどん放り込むんだ。」なんて豪快な話をしてくれたが、彼も去年亡くなってしまった。映画館に人があまり足を運ばなくなった時期になってからの建て替えであった。周囲の反対を押しきっての頑固な計画に、依頼されたこちらもビビったものだった。

 葬儀からの帰路は悪天候だった。吹雪で前が見えないことはあっても、雨で見えないことに出くわすのはめずらしい。春の嵐。ムカシだったら港町の映画館が満員なんだろうか。はらはらしながら運転していたら、留守番のRくんから電話。「水が出なくなった。井戸のポンプを見たら水浸しで漏電しているようだ。」れれ!、この大雨で一気に雪がとけ“春の小川”が押し寄せてきたらしい。でもこんなの開びゃく以来だぜ。困った...、でもラッキーなことにすぐに別の水道(みずみち)ができたらしい。あーしよーか、こーしよーかと電話のやりとりをしているうちに水浸しが解消し、なんとか回復できたようだった。
 自力でのライフ・ライン管理にはちょっとした技術や慣れが要る。札幌に住みはじめたころ、凍結し破裂した水道管からの水で台所がスケート・リンクになったことが何度かあったっけ。それよっかましかぁ...。

 ほっと一息の気分で“やぎや”に帰り着く。
 田舎でゲットしたギョウジャニンニクのてんぷらで夕食。野菜の端境期の今はいろんな山菜を食べるが、これは王様。“アイヌネギ”という呼び方はまずいというわけで“キトピロ”だったら同じアイヌ名で良いだろう、なんて聞いたらそれは“キトウビル”(ビルは“蒜”)の訛りであってアイヌ名とは違う、と訂正してくれた大酒飲みのクラフトマンはもうこの世の人ではない。正解は“プクサ”だろうか。んー、これも“クサ=草”?よくわからない。宿題。
 もう遅かったからチビたちはRくんやRくんのガールフレンドといっしょにごはんを済ませたはずなのに、みんなまたテーブルについてぱくぱく食べることといったら!揚げるはなっからなくなるのでこちらにまわってこない。「もうなくなっちゃった。」なんてウソ言って、さあ歯磨き歯磨き。えー!デザート?しょうがないなぁ、興部(おこっぺ)のTさんのヨーグルトがまだ残ってたっけ、冷蔵庫から持ってきてってHちゃんに頼んだら、ありゃーそりゃフロマージュ・ブランじゃないか、こっちがイイって?ほんじゃ蜂蜜も持ってきてねって...、こんなににぎやかじゃまだ寝られないねー。

 トイレから出てきたHちゃんが、なんかヘンかも...と言う。れれ!、今度はなんだ?!なんか水が滴り落ちる音...。
 わが“やぎや”のトイレには腰かけ便器がふたつならんでいる。ひとつはおしっこ、もうひとつはウンチ専用。公共下水がない場所なので建物を整備したときに自家処理の方法をいろいろと考え、この方式をとった。お客の子供にウケる。「二人用なんだね。」って。マジメな大人のお客は「失敗しちゃった。おしっこのところにウンチ出しちゃった。どうしようー!」って謝る。ま、厳密じゃないのよ。ちなみに“紙”は別に処分デス。
 おしっこは地中に埋めたFRPのタンクに溜め、いっぱいになったら処理業者に処分してもらう。できれば肥料(液肥)にと思うが将来課題。一方のウンチはコンクリートで作った桝にためる。落ち葉などを“使用後”放り入れて堆肥予備軍(いっぱいになったらとり出して“積む”予定)にという算段。作って2年。まだ運び出したことがない。そのくらい“固形分”って少ない。
 この分離方式はその後の使途というのもあるけれど“臭い”防止が主目的だった。臭いのはおしっこ。まずそれを分離し封じ込める。それとは別に水分があまり入らないウンチ+葉っぱという条件を作ると臭くないトイレができることがやってみてわかった。高価な浄化槽でなんでもかんでも流してしまうより素敵だと自画自賛中である。オススメ。

 で、その異音である。もしやと外へ見に行くと、なんと“春の小川”がこのウンチ桝の上を流れていて、そこにあるウンチ取り出し口の蓋のすき間から水が少しずつ中に入り込んでるのだった。わわわっマズイ!せっかくいい調子のウンチだったのに!
 ってなわけで大出動。ゆっくり寝ようって思ったのにぃ...。たんまり積もって固くなっている雪、それが水をせき止めている。それをどけ、桝からそれるように“小川”を作る。夜じゃなくて、雨降ってなくて、だったら楽しいねー、まったく!
 チビたちはギョウジャニンニクのゲンキで寝るどころじゃなくなったらしい。そう、そういう食べものなのだ。ま、いいか!
 雨に濡れながらはしゃぎまわっているチビたちが現場ライトに照らされてぴかぴか光っている。水遊びは別に子供じゃなくたって面白い。大人もギョウジャニンニクのおかげでばっちりさ!

(フィクションです)