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070228 年輪
家中を放浪して歩くパートナーが、お尻みたいでかわいいと気に入っていたiBook(G3 366MHz SE)が7年目にして息を引き取り、当座しのぎにと眠っていた同年代のPowerBook(G3 400MHz 通称Pismo)を引っ張り出すもトラブル続きで、年寄りばかりじゃなぁと、いつものナゾのPC屋;Do-夢でデモノを捜索。最新のに近いMacBook(intel Core 2 Duo 1.83GHz)を入手して当方ではいちばんカシコイ存在となった。 とたんにシットしたか奉公5年目の仕事場のメインPowerMac(G4 933MHz 通称QuickSilver)に発作の兆候が出、これはとりあえずHDD増設でしのごうと思いきや、あちこち引っ張り回している中古のPowerBook(G4 12" 867MHz)からはジャリジャリと異音発生。まずい。 靴にありついて ほっとしたかと思うと * 齢は重ねるものである、とうそぶいてカッコつけるにはまだしばしの時間が必要だろう。 過日亡くなった松川監督はドキュメンタリー映画の大御所だが、「本当のことを凌駕するフィクション」を作品に焼き付けた。現に在るものをファインダーで切り取りつなぎ合わせた映像には、いわゆる真実というものが数段高められ、作品として提示がなされた。つまり優秀なうそつきだったというわけだ。 乗っけられたものをさばくのは手(からだ)である。現代の手は肥大化したキャッチャー・ミットのようになって、受動にだけ忙しい。見るというまなざしは包丁を持つ手(からだ)を要求する。ミットでそれはかなわない。 そして、からだは装う。 わたしたちは勤勉を実行し、着られる・食べられるようになっていると思わせられているが、着る・食べることの偏在こそが近代の成立要件であり、そう「なっている」んではなく「している」主体である(弱めて言えば、させられている)ことはちゃんと背中に!刻まれている。 靴にありついて ほっとしたかと思うと |