Usso800_0703

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070322 春の宵

 同業のN氏がこんなもん送ってよこしてナンダこれは...。

 玄関は明るくってね靴がたーくさん仕舞えてコートも掛けられる収納があって子供があははもう大きくなっちゃったけど汚しても簡単に掃除ができて靴を脱ぐ段差は私はあった方がいいわね年寄りじゃまだないしでもブーツを履いたりするのにベンチがあるといい手洗いがあるとヘンかしらお洒落なのがあるでしょ?荷物を受け取るときの印鑑とかがぱっと出せる気の利いた引き出しなんかいやシンプルにしといたほうが明かりは蛍光灯のほうが電気代安いでしょそっか白熱灯の方が顔が奇麗に見えるのかじゃあそっちで傘立てっていいものがないわね何かご存知私は年寄りじゃないけどたまに高齢のお客もあるでしょ手摺って付けるの普通なのかしらドアノブにはこだわるのよいいの見つけてね鍵は○○錠がイチバンよテレビで見たの知らないの?見ただけでドロボーが逃げるってそんなちゃっちい扉じゃダメよ既製品でしょ?どこの?あつらえるのよ当たり前でしょチークはもうないかしらなるべく重いカンジがいいなアンティークでもいいですよただロンドンにはもうイイものはないわよネットで探しといて塗装はナメてもヘーキっていうのがあるんですってね安全安心は大事よ気をつけてねすべって転んで怪我でもしたらあなたの責任よその石だいじょうぶ?えタイルなの何やってんの床は大理石って言ったじゃん保証問題だわ掃除に苦労するって?いいものにはいろいろあるのよファッションだって同じでしょ気に入ったものを着るにはご飯だって減らすわよ努力すんのよ努力がウツクシイのよ涙をぐっとこらえてあら何の話?このあいだ家具のバーゲンのDMをもらったけどつきあってくれるんでしょ?気が急くのよ生き急ぐっていうのかなほしいものはすぐ買っちゃったりするからね運んでね週末でしょ道混むからね早めにピンポーンするのよカジュアルな格好で来るのよあーたそもそもスーツ似合わないわよしょぼいサラリーマンじゃんクリエートしてますって格好じゃないわよ奥さんだめねぇ特にわたしと歩くんだからねなぁんで国産車なんか乗ってるのイヤだわねマジ二言めにはご予算がじゃないのもう聞き飽きたわよ言うこと他にないの?玄関で気を抜いたらお家ぜーんぶが腑抜けだからね親戚とか友達とかがねよーく見てるのよヘンなところあら探しなんだからダンナなんかなんべん取っ替えたって良くない話しかしないでもお家はそうそう換えられないでしょだからあーたを頼んでんだからね自覚してね・・・・・(以降文字化け)


070316 Petit

 子供のころ「手のひらがかゆいんだね」と言われた。作りたがる・すぐ壊してしまう、を繰り返し、器用貧乏を親が心配した。士農工商だからな、偉くなるにはナイフ持って木を削っててはダメなんである。モノ作りにかけては全能の人だった祖父をお手本になんぞしてはイケナイ、彼はただの優秀な開拓農民だっただけだ、というわけだろうか。自分の畑を提供し住民で協力し合って設立したという小学校には彼のお兄さん(工人一家だったのか?)が作ったという戸棚があって、きっと世界中にこういった美談は山ほどあるのだろうけれど、それはそこに通ったガキンチョ末裔の気持ちをくすぐるに十分なものだったはずだ。
 馬小屋の一角にしつらえられた祖父の作業スペースにはいろいろな道具が(電動工具が普及してない!)いろいろな材料が、時に作りかけのソリとかが整頓してあって、ドキドキワクワクの小宇宙だった。
 「モノ」から入っていく思考パターンをとりがちなのは、きっとその記憶のせいでもある。工学部だからな、なんて言うわけだが、モノに映し込まれたフシギという餌を食べて生きているように思う。
 モノにはたいてい手で触れる。手は果たしてだいじな道具・インターフェイスであった。

 まさか自分の体のことで知人の医者の顔を思い浮かべるなんてことを想像したことがなかった。ナイフは切れなくっちゃ、道具は大事にせよと人には言いつつ、その中でいちばん大事な道具である自分の体を見失う時がある。
 数日前からしびれている指があって、寝違えたかと思いきや治らない。利き手、たかが小指・薬指くらいなのだが、それまで当たり前に出来ていたことに手間取り面食らう。ボタンがかけにくい、クルマのスターター・スイッチが回しにくい、箸で魚の小骨が...、である。ほぅ、老人だ、そういうことかと感心したりした。が、待てよこのままじゃなと、知り合いの鍼灸をやってるお嬢さんに聞いたら「それは頸椎○番目がどうにかなったんですね、クビ引っ張りますか。」との宣告。いよいよロープを梁に引っ掛ける場面だって笑う。そっか、いい加減にしなくちゃいけない。
 このところ忙しくてなりふり構わずだから風紀委員にペケの烙印を押される。昼夜違わずどこにでも寝る。椅子、机、床...、さすがに獏さんが描いたように“陸(おか)を敷き夜空をふとんに”寝るにはこの季節ではではマズイんだが、この体たらくを家族はついに「ポチ!」と呼ぶに至った。ゴエモン(愛犬・ボルゾイ)、仲良くな。パリポリ(ペットフード)をグルメ・バージョンに格上げしよう。
 なんで犬は「ポチ」なんだろう?。「Spottie(英語;スポッティ=点のような→小さい、カワイイ)が語源/Petit(フランス語;プチ=小さい、カワイイ)が変化/Pojd'!(チェコ語;ポイチュ=行け!)から来ている」など諸説あり、明治〜昭和初期によく用いられた、ということらしい。
http://www.dogmark.net/dmnjapan/inumono/inumono02.html
 犬も欧化させられたわけだ。

 可愛がってくださいね。ワンワン!


070303 ざぶとん

 ワルサをすると「バケツ持って立っておれ」と言われたような世代ではないと思うけれど、中学(40年前かぁ)のある教師などは、腹を立てると「立て!窓にギロチン」〜窓枠に首を挟んで外の冷たい風に当たれ(雨の日でも雪の日でも)、なんてことをわたしたちにやらかした。
 そういえば、自分のバイク旅行の漫談ばかりやってる社会科であるとか、実習がエスカレートして改造したミゼット(!)の馬力を試すべく生徒たちを荷台に乗せて廊下を運転しちゃったりする技術家庭科とか、今ならぱっと排除されるようなオトナが廻りにいて、幸か不幸かそこが鼻ったれ小僧にとっての世界への入口だったのだ。

 大学の教師をやってる知人が「デスクワークに向いている椅子を探している。どうもこのごろ腰が痛い。」と訪ねて来たので、最近の名作を紹介してあげようと考えはじめ、ふと、恥ずかしながら我が仕事場をご覧に入れる、ということになってしまった。
 ほれ、私の机は1メートルの高さの立ちんぼで、かれこれ1年半過ごした。ハイ・スツールを買った(中古の店舗用品店で1.000円の秋田木工)が、あまり座らない。
 素敵な椅子も魅力だが、“どう座るか”からジャンプして“立っちゃえ”という選択のオススメとあいなった。机上の作業も大きく括れば労働であって、それはときに安楽に座るということと矛盾する。疲れないように座るんだよ、と言われればごもっともだが、のらりくらり長い時間やらないでさっさと片づけちゃえって思ったりする。(気まぐれなわたしは最近少し座ってみたくなっていたのだが、彼のおかげでもうしばらく立つことになりそうだ。)

 1メートル高の机となると、今描いているクリニックの受付カウンターがそんな程度。訪れた人がその上で多少の書類を書く。その高さはまた立ち飲みのカウンター高だ。ガード下の一杯飲屋はなくなって、みんな座ってどでっと?するようになってしまった。酒とかコーヒーとか、日本の方々はあまり立って飲まない。このあいだビールを楽しんだ新宿駅近くのパブでも、椅子席は混んでいるのにカウンターは閑散としていて、立って飲んでいるのはほとんどヨーロッパ人だった。彼らの体格は別にして、それはさっそうとしていた。

 立つとキモチいいと思う。座ってゆっくり話しましょうよ、もいいかもしれないが、立ってちょっとね、もいい。違う、なんかヨノナカへの対し方が。そこまで言うか...だが、相手との関係が少し変わる、確実に、きっと。
 会議なんてのも立ってやるといいのだろう。大きめの丸いカウンターなんぞを囲み、ぶらぶら身体を動かしながらやれば良い結論が得られるような気がする。赤いじゅうたんの上でふかふかの肘掛け椅子にぞろりと座りえらそうに勘違いしているどこかの国の政治家をわたしたちがまねることはない。

 また山之口漠だが、土の上には床がしつらえられその上にざぶとんをのせてさらにその上に乗っかっているのが“楽”というヤツで、はて、その上には?と言っている。(「座布団」;初出「思弁の苑」1938年)
 これは金持ちだとか身分だとかというようなことのアナロジーではないと思える。これは人のありようについての根源的な問いである。___わたしたちは一瞬一瞬をどう過ごすのか。

 1メートル高の机はバー・カウンターのキモチ良い高さでもある。さて、スピリッツでもキュッとやって寝るか。