Usso800_1308

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130828 戦争

化学兵器を使うということは絶対許されないから制裁する、とニュースが伝えている。
いわゆる列強の国々の好戦的な態度(として切り取られた姿)にあきれる、というか「ふざけんじゃない」と言いたいが、株価がどうなる?とか、我が国はどうする?とかと、うれしそうな(私感)メディアの浮き足立つ様子に付き合いたくない。

考えてみれば、化学兵器を含め飛行機や大砲を用いて「えいえい」とやってる戦争(紛争)は、槍や刀で「えいえい」というのと大筋は変わらない、ヒンシュク覚悟で言えば牧歌的なタタカイだという気がする(気にさせられる)。この線からあっちは戦争、こっちは平和、みたいな雰囲気であり、こっちの自分は「たいへんだね」「かわいそうだね」がせいぜいであって、無責任きわまりない。

だが「そのエリア」と経済的なつながりの濃い立場の団体・人々にとって、タタカイのプロセスや行方が大いに自分事であることは明白だ。だから日がな平和に浸りたいフツーの人々の感覚とは遠いところで戦争は遂行され、遠吠えのような「ハンターイ」とクロスすることは少ない。だから「人殺しは基本イケナイ」なんて、それこそ牧歌的な良心では抗いにくい。むしろそういった対応もある程度「必要」な範囲のものとして歴史というものは構成されていくのだろう。

ひとつ言いたい。

このフクシマの放射能は、化学兵器が使用される・されたという戦地=エリア限定の驚異に比べて、きっと格段にスゴイよ。槍や鉄砲を持って「やあやあ」って言わなくても、どこにでも広がっていきどうやっても防ぎようがないという意味において、いまや(化学)兵器以上の存在であることを世界中の人々に知らしめつつあるわけで。

日本は戦争をしません、軍隊なんかありません。だった。
平和裏に競争し発展した、と。
...そのあげくのフクシマではなかったか。
もうすこし上手いシナリオがあったなら、ドンパチしなくたって競争には勝ち続けられたのだ。でも図に乗りすぎた。

化学兵器が「アブナイ」「とんでもない」って言うんだったら、忘れるんじゃないよ、およそフクシマのそれは群を抜いている。
良いか、アメリカ軍もエゲレス軍もフランス軍も、向かうべきはシリアではない。

Goats

 

130816 海

デレク・ジャーマンは、チェルノブイリ事故の1986年、イギリス南部海沿いのダンジェネス村に漁師小屋を入手、そのまわりにちいさな「庭」を設営しつつ1994年までを生きた。
目前には原発。彼の「庭」はいわゆるのガーデニングからは遠い。彼が手に入れ働きかけた庭と命名された環境=複合体は、まずは彼の作品でありつつ…ある世界と言うべき広がりを持っている。
生きているようで死んでいる。死んでいるようで生きてもいる。そう見えるのは、彼をむしばむHIVというフィルタが見る人に用意されていることにもよるだろう。だが、その上で、それを越えた奥行きが優れて空間化されている。
なぜ原発の目前なのか、は直裁には表現されていない。しかし原発はこの庭の欠くべからざる重要な登場「人物」である。
ごく自然に、そう原発はすでに自然の一部(!)として人々を地球を支配・左右しているのだった。
いま庭に必要とされる水や土、空気と並んで(!)原発は「そこ」にあるべきもの、となった。

いま、福島から原発事故による放射能で汚された水が海に流れ出ている。
福島から700キロメートル北のこの海沿いに原発はないが、原発は唐突に「ある」ということになってしまった!
海に向き合うことが原発に向き合うことになろうとは。

130816Urahoro

(釧路から十勝へ。「ナウマン街道」へ出る直前、浦幌の海)