2008年03月号
USOニュース
発行;庭しんぶん
庭プレス社
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080328 土のうた
文・写真;ナガタ・ま

 仕事で札幌を離れ山梨に滞在していて、地元産(工場が近くにある)だからとウイスキーなんぞかぽかぽ飲んで不謹慎な寝方をしたせいか、久しぶりに生々しい夢で早朝目が覚めた。久しぶりの休日だというのに。

 どこか商店街の一角にレストラン「やぎや」が店開きしようとしている。ビルの内部か一戸建てかよくわからないが改装工事の終盤である。私がぶらりと寄ると職人やらデザイナー氏(そう、どうも私は関与してない!)らがあたふたと動き回っている。店主に「このレンジ廻りの造りはいただけない、使えない。」と言うと、ぷいと横を向かれてしまった...。横で聞いてたデザイナー氏がなんだかあわてて「それなら前の工事で使わなかったものが良かろう。」と急ぎ搬入するがまったくの見当違いである。内装の雰囲気は現「やぎや」と似ていなくもないが、ちょっと古めの洋風、しっくい壁と焦げ茶の柱みたいなものであった。奥の方に障子戸があったから古い民家の改装だったのかもしれない。

 時間の脈絡はどうでも構わないのが夢なんだろうか。次のシーンはその新装なった「やぎや」で何故かエドワード・サイードが食事してる。奥さんと(高齢だったがしゃんとした美形だった)、そして数人の人たちと。彼は何か時代を表現する(そして批評する)ワークショップに講演者として招かれ、それが「やぎや」のある町ではなくどこか別の地方都市での開催らしく、通過地点の町の「やぎや」に寄ったという設定。僕もお調子に乗ってその開催地について行く。ツリーハウスを少し大きくした風情の建物が何故か広い道路の中央分離帯の中に建っていて、そこが会場。その姿は巨大なパン窯のようでもある。アフリカ展なんていうのに出てきそうなプリミティブな階段が入り口。床は地面から背丈ほど持ち上げられている。ワークショップの宣伝を兼ねたお祭り騒ぎ風デモの中にサイードも僕もいる。サイードの奥さんがサリーのような着衣でゆっくり踊りながら通りを歩いている。サイードの顔のヒゲに隠れた深いしわと鷹のようにするどい眼光がときどきわずか緩んで、それを笑みと言っていいのか本当はよくわからないのだが、何かとても遠くまで届くようなパワーを感じる。彼がいることで廻りに静かなエネルギーのようなものが沸いてくるのだった。

 夢はそこまで。じっさいのサイードはしわくちゃでもヒゲでもなく、夢はどうも誰かと合成したんだなぁ。彼は自伝で言っている。「あるべきところから外れ、さ迷い続けるのがよい。決して本拠地など持たず、どのような場所にあっても自分の住まいにいるような気持ちは持ちすぎないほうがよいのだ。」(サイード;遠い場所の記憶/1999)
 私たちはつい理想郷をどこかに固定化して求める。そこが美しいから、そこが気持ちよいからと。そしてそのときにたまたま居る場所からの離脱を図っちゃったりするわけだが、求めた先は「ただ風が吹いているだけ」である。
 きっと私たちは「そこ」に「たまたま」居るのではない。「そこ」を良く見「そこ」に働きかけることが重要だ。理想の種はポケットの中にこそある。土から生え出す素敵な草木はたまたまそこからこぼれ出た産物である。ポケットはスニーカーのフットワークで運ばれる。
 「ぼくたちの声は土になる。そこからあたらしい歌がうまれる。」(友部正人/月の光/アルバム;読みかけの本/1999)

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