2008年04月号 / Top
USOニュース
発行;庭しんぶん
庭プレス社
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080428 今はムカシ
文;れぱん太
 M氏がこの場所を訪れたのは、およそ40年振りのことだった。
 M氏の両親はそこで農業を営んでいた。比較的色々な作物を作っていたようだった。野菜だけでなく、花栽培や、養鶏もしていたようだった。
 やがて、そこに宅地開発の話が持ちかけられた。詳しい経緯はわからないがM氏の両親も高齢になっていたこと、M氏自身農家を継ぐ意思がなかったこともあり、その土地は売却され、M氏一家はその土地から離れていったのだ。近隣の農家も大体同じような事情で去っていった。宅地開発の規模は比較的大規模なものとなった。当時は「ニュータウン」と呼ばれていた。造成が始まってからの変化は目まぐるしいものがあった。あれよあれよという間に住宅で埋め尽くされた。
 急激にひとつのまちが誕生したのであった。隣接するS市に通勤する人が主な住民だった。子供の数も増え、それなりに賑やかな町が形成された。
 その後子供たちは大人になり親元を離れていった。親の世代の高齢化も進んでいった。
病院が多く、雪かきの心配も不要な都市部のマンションに引っ越す人も増えてきた。子供たちの世話になるために引っ越した人もいる。車に乗れた頃はさほど気にならなかったが、車がないとちょっとした買い物もできず何かと不便を感じる人が増えてきた。
 やがて、空き家が目立つようになってきた。治安上の理由や更地の方が売れるということで、空き家は取り壊されて更地が増えていった。しかしなかなか新しい家は建たない。
 新しい家が建つまでの当面の間、更地にしておくのもなんなので花壇でもつくりましょうということになった。不動産屋も特に異論はなかった。都市部なら駐車場にでもするところだろうが、そのようなものにしたところで収益の見込みはゼロであった。
 やがて花壇だけでは飽きたらず、作物を栽培するところも出てきた。
 中には動物を飼う人も出てきたが、問題にする人はいなかった。更地のままよりマシだというのが住民・関係者の認識だった。
 徐々に空き地の面積が住宅地の面積を上回っていく。
 そんな中、M氏は40年ぶりに、この場所を訪れたのであった。
 周囲を見渡せる小高い公園に立ってM氏は言った。
 「昔とあんまり変わっていないなぁ・・・」

ればん太;世界大旅行から帰還後S市にて建築設計事務所を運営中

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